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・はじめに
今の日本は、道に迷ったかのようである。
戦後、世界を驚嘆させた奇跡の経済成長を成し遂げたのも日本人なら、失われた10年を経て自信喪失の中にあるのも日本人である。いったい、どちらが我々の姿なのか。
今や改革の時代といわれるようになって久しい。年々の変化の中に兆候を見い出すことはなかなか難しいが、10年後の日本を思い浮かべてみれば、我々が直面する事態の深刻さが迫ってくる。話の枕に、四つだけ要素を指摘したい。
まず、高齢化である。高齢化といってもイメージがわきにくいかもしれないが、言い換えれば、世代の変化である。我が国には、戦後の昭和22〜24年に生まれた団塊の世代といわれる一群の世代の固まりがある。年間260〜270万人が生まれ出て、25年生まれまで入れると、じつに一千万人を越える日本人がこの世代に属する。人口ピラミッド上大きなこぶを形成しているわけだが、幸いなことにこの世代は、現在ちょうど50歳代の前半に位置して、いわば日本経済の主力、稼ぎ頭となっている。
ところが、ここから先は単純な算術だが、10年後この世代は、間違いなく60代前半となる。つまり、この日本経済の世代のこぶは、稼ぐ側から使う側へとそのポジションを劇的に変えるのである。このことの我が国経済や産業の活力に与える影響は大きい。
二つ目は、中国をはじめとするアジア諸国の経済的台頭である。
中国といえば、つい最近までは、繊維などの軽工業品の生産国というイメージだったが、今は大きく変貌している。家電、自動車は言うに及ばず、プレイステーション2まで中国で生産されるというところまできている。
日本は、食料やエネルギーを輸入に頼らねばならず、そのためには、強い競争力をもった製品を輸出しなければ、1億2,000万人が生きていけない国である。そういう国のすぐ隣に、大変な競争力を持った経済的ライバルが出現しつつある。日本の主力輸出品は、つぎつぎと中国との競争にさらされつつある。10年後は、いかなることになっているであろうか。考えると肌に泡を禁じ得ない。
三つ目は、財政赤字問題である。
現在我が国が抱える、国と地方あわせた財政赤字の累積は、666兆円と言われる。このくらいの数字になると、一般の方には深刻さが実感できないが、かりに、一世帯あたりにすれば、1,800万円となる。毎年毎年この累積赤字は増大しており、10年後には、国と地方併せて一千兆円を超えるという試算もある。
これを一世帯あたりに直せば、じつに三千万円を超える金額であり、10年後の日本の世帯は、高齢化という重荷に加えて、住宅ローン並みの三千万円を超える見えない借金を背負うことになる。この借金を返済する為には、増税か、あるいは、社会保障や公共事業といった歳出の見直しをしなければならないが、そのためにも、緊縮財政が更なる税収の悪化を生むという、現在の財政デフレの悪循環を断つことが前提となる。
四つ目は、安全保障である。
ベルリンの壁が崩れ、あのソビエト連邦が崩壊してから、10年以上たつ。これによって世界の安全保障環境は激変した。戦後50年間、冷戦を前提として積み上げられてきた我が国の安全保障体制は、見直しの必要性が出てきている。これまでは、極東における安全保障上の利害という意味では、日米の思惑は基本的に一致していた。しかし、「共産圏への対抗」というたががはずれた今、日米の安全保障上の利害が常に一致する保証はなくなってきている。10月に開始された日朝交渉も、ある意味では、日本主導の独自外交といえるが、それは、とりもなおさず、アメリカがお手並み拝見で静観する中、日本が戦後初めてと言っていい厳しい外交に乗り出すというということを意味する。
10年後の安全保障環境は、冷戦終結という激震を経て、さらに大きく変わっている公算が大きい。
今や、我が国は、どう考えても、改革が必要である。しかも、混迷の度合いは深まっている。改革と言っても、どちらの方向に歩み出せばいいのか、わからなくなっている。
だが、迷ったときこそ、我々は原点に立ち戻って考えてみるべきなのではないだろうか。森の中を行く宛もなくさまよっても、かえって迷いを深めるだけということにもなりかねない。道に迷わば原点に戻れ。一度道をもどって、原点に返って考えてみることを提唱したい。そうすれば、逆に、道が見えてくる。私は、そう考えている。
改革の時代、日本はどうすべきか。この政治の大テーマを考えるとき、私はつねに、原点にこだわっていきたいと思っている。今後、この原点にたって、逐次私の考えを紹介していきたいと思っているが、今回は、まず、日本の国柄、日本とは建国以来どういう国だったか、つまりは私の原点中の原点の問題意識を申し上げたい。
・伝統と近代の調和
周知のように、我が国は、明治維新によってアジアでいち早く近代国家の形成に成功した。しかし、その過程には、日本はどうあるべきかという、原点をめぐる葛藤があった。維新の思想潮流は、当初、「尊皇攘夷」であり、そこから開国による近代化に向かうには、当然のことながら、大きな抵抗感があった。
結局、戊辰戦争という日本人と日本人が殺し合う内乱の時代を経て、明治の世はようやく固まってゆくのであるが、それでも、かなり頑固な伝統墨守勢力もいた。断髪令で男子の髷結びを禁じ、和装から洋装に切り替えること等、次々に西欧文明を取り入れていくことには、政府内にもかなりの抵抗があったという。明治政府は、太政官という日本古来の統治機構を復活させて伝統主義者に気をつかいながら、内実は、開国による近代化・西洋化の道を歩むという、一見相矛盾する手法をとって、明治の新時代を導いてきた。
かつて、イランにパーレビ国王という人がいて、イランの近代化を積極的に推し進めたが、あまりに急激であったため、アラブ社会、イスラム社会の伝統としばしば衝突し、遂には、国民の不満を買って、追放されてしまった。かわって国家最高の権力者の地位についたのは、ホメイニ師という原理主義的なイスラム教の指導者だった。
こういう例を考えると、明治の先人たちが、王政復古と近代化という二つの仕掛けの中で日本の改革を押し進めていった、その英知に感銘を禁じ得ない。明治日本がイランのようにならなかった要因の一つには、明治天皇御自身が伝統を大切にされたという点も指摘される。とりわけ、御祖先を祭る「祭祀」については、ひたすら伝統に徹せられたという。こうした御姿勢が、近代化に懸念を持ち躊躇する人々の不満を静めたことは間違いない。
京都大学教授の中西輝政氏は、著書「なぜ国家は衰亡するのか」の中で、長続きする文明の条件を考える上で興味深い指摘をしている。それは、当初東ローマ帝国と呼ばれたビザンチン帝国がローマ帝国滅亡後一千年も存続した例を紹介し、「ビザンチンの例がわれわれに示してくれるのは、自分たちの伝統、価値観、制度、ある場合には神話をも含めて、その『文明の核心』となる部分はどんな危機においても、また繁栄のなかでも絶対に放棄しないということであろう。と同時に、外の大きな流れには積極的に対応し、本質的に可能なものや技術的なものについてはむしろ積極的に取り込んでいかなければならないということである。」と結んでいる点である。
我が国は、古来より外来文明を積極的に取り入れてきたことはよく知られている。中国の儒学、インドの仏教などの精神文化はもとよりのこと、建築、農業、文学、詩文、絵画彫刻、歌舞音曲、医薬医療、官僚制度等、およそありとあらゆる新文明が移入されたと言って過言ではない。大陸の諸国では、先に見たイランのように異質の文明が流入してくるとき、それが相対立する社会勢力と結びついて多くの混乱と闘争の原因となることが少なくない。だが、我が国では、比較的スムーズに東西の諸文明をうまく移入同化せしめることができた。
そのことは、我が国の歴史というか、成り立ちと無関係ではない。
以前、世界的ベストセラーとなった『歴史の終わり』を著した米国、ランド研究所のフランシス・フクヤマは、その後の著作『信なくば立たず』の中で、日本、ドイツ、アメリカといった経済大国が、その活力ある経済を築き上げることができたのは、伝統的に形成されてきた「高信頼社会」という道徳的コミュニティーの存在があったからだと指摘している。よき経済の根底には「良き伝統社会」がある。そこでは人々が相互に信頼しあって、大きな力を生む協力関係を構築することが容易であるといい、それこそが、これらの国々の経済的発展を可能にしてきた最重要の要因だという。
我が国が、近代化という歴史の荒波の中で、紆余曲折はあったにせよ、自立と繁栄を維持できた背景には、この「良き伝統社会」というものが大きな働きをしたことは言うまでもない。
・社会秩序を維持するための「権威」
少し話の道が逸れるが、社会や国家を秩序あるものとしてゆく力には、「権力」によるものと、「権威」によるものの、二つがある。「権力」とは、最終的には力ずくでも相手を従わせる力のことであり、「権威」とは、相手が自然に従おうとする力のことである。もちろんこれらは何も相対立するものではなく、両方組み合わせうるものである。
今日においても、世界には30近い君主制、王制の国々がある。その中でも、北欧や英国、ベルギー、デンマーク等の国々は、近代自由主義の憲法を採用している立憲君主制の国である。これらの国は、政治的にも安定している国が多い。これらの国では、中世期の絶対専制王とは異なり、「権力」は首相以下の内閣が担い、君主は「権威」のみを担うという役割分担になっている。
国王は選挙で選ばれるわけではないから、幼少時より、将来に備えての教養や人格の陶冶、国家国民への奉仕といった美徳を極めることができる。いわゆる帝王学を学び身に付けることが、権威となって滲み出るのである。つまり結果として国家の「権威」の役割を担うこととなる。
逆に、米国の大統領は、立憲君主制国家の首相がする任務と君主の任務とを、ただ一人で執行しなければならないという困難を背負っている。米国では、大統領になるためには、対立候補、対立政党との激しい選挙戦を経なければならない。自己の所属する政党への結集を訴え、他候補の欠点弱点をつき、自分がいかに正しく優れているかをアピールする。そして、一転、大統領に当選したならば、反対党をも含めて国家国民全体への奉仕に努め、国家の統合をはかることに全力を尽くすのである。だが、再び、大統領選が近づけば、統合よりも対立政党との違いを明らかにして選挙戦に望まなくてはならない。大統領の任期四年のうち、実際に自己の所属政党のことよりも文字通り国家国民のために尽くすのは、二年半ぐらいだという。世界大戦で赫々たる功業をたて人望も高く、戦後はコロンビア大学の学長ともなったアイゼンハワーが、大統領選に立候補しようとしたとき、忠告した友人がいたという。その友人は、「君が今のまま大学の学長でいれば、米国市民の全てが好感と敬意をもち続ける。だが、大統領になれば、米国市民の半分を敵として争わなくてはならない」といった。良い悪いという問題ではなく、これが大統領制国家の持つ現実なのである。
「権力」は、常に腐敗堕落の危険と隣り合わせている。立憲君主制国家では、この「権力」と「権威」を担う者を分けることによって、統治機構全体が腐敗することを回避し、社会の安定を期しているのである。
勿論、政治権力は国家の存続に必要不可欠のもので、敢えて、選挙に立候補し、政治の世界に身を置くものが出なければ、国家は成り立たない。私は、その道を選んだわけだが、一方で、政治の世界に身を置き、政治の現実を知るがゆえに、日本における権威の必要性、重要性を痛切に感じている。
・自然と調和した社会
さて、わが国は、先進国の中でも、国土に占める森林の割合が67%と高い。因みにイギリスは、約10%、アメリカは32%、森と湖の国というイメージが強いカナダでさえ50%にすぎないから、いかに割合が高いかがよくわかる。まさに緑の日本列島である。
しかし、我が国の場合、自然状態を保った原生林は僅か19%で、人間の影響を受けた二次林や植林地が殆どである。周知のとおり、一昔前までは木造建築が主流で、生活にも木炭や木製品、紙などが入り込んだ木の文化の国だった。つまり、我が国では、古来より、木を使う一方で、木を植えてきたのである。
このように、自然を活用し共生してゆくという我が国の発想の背景には、山川草木すべての自然に神や仏の生命がやどっていると考えるアニミズム崇拝がある。そう言うと何か宗教がかった印象を持たれるかもしれないが、原始社会ではごく一般的にみられたものである。
原始社会では、なぜ自然を大切にしなければならないかを言葉で論理的に説明することは、かなり困難なことであった。自然を大切にしなければならないということを、神を大切にするということに置き換えて、社会のメンバーに徹底したのである。つまり、山川草木すべてに神が宿ると言うことで、それらの自然を大切に扱うことを教えたのである。そういう意味では、自然崇拝は、社会が永続してゆくための安定装置として必要なものであったのである。仮に、そこに神が宿ることが立証されなくても。
従って、こうした自然観からは、自然を征服するという発想は生まれにくい。生活の必要から木を切ることはあっても、その木を切り出す山には、祖先の霊がおわしますのであり、その木自体にも神仏の霊が宿っているのである。浪費は戒めなくてはならないし、切り出す一方で植林をしてお返ししてきた。木曽の樵たちは、仕事にかかる前、老木の根元に榊をたて、注連縄張り、お酒を捧げて山の神に作業の安全を祈り、樹木を切り倒したあとは、切り株の中心に、その木の梢をさしたてて、山の神に感謝を捧げてきたという。山の怖さも厳しさも含め、山と木に限りない愛情をもっていればこその、樵たちの祈りと願い、そして文化がそこにはある。このような日本人の素朴な信仰心が、日本の自然を守り、先進国の中でも類稀な緑を今に残してきたといえよう。
以前、NHKが実施した世論調査によれば、「昔の人は、山や川、井戸やかまどに至るまで、多くのものに神の存在を感じたり、神をまつったりしてきましたが、あなたは、こうした気持ちがよくわかるような気がしますか。それとも、理解できない、と思いますか。」という設問に対して、「よくわかるような気がする」と答えた人は75%であった。山川草木に神が宿るとしてきたかつての日本人の心情は、現代日本人のかなりの人々にも理解されていることが分かる。遺伝子は、この殺伐とした現代にも受け継がれているといえよう。
日本列島に緑が多く残った理由のもう一つ。それは、日本の主食が米だったからである。これも元を辿れば気象条件からくる問題であろう。ヨーロッパの場合、家畜飼育の容易な牧畜適地だったことから牧畜が発達し、肉食が重要な蛋白源となった。日本の農耕社会が森を徹底的に破壊しなかった原因の一つは、家畜を飼っていなかったからだとして、国立国際日本文化研究センターの安田喜憲氏は次のように指摘する。「家畜はいうまでもなく、森の木の皮や葉あるいはドングリを食べ、森を破壊するだけでなく、若芽を食べ、森の再生を不可能にします。中世以降の西ヨーロッパの森の破壊の主役は、この家畜をひき連れた畑作農耕民でした。ところが、日本の稲作は家畜がいなかったため、水田とならなかった人里周辺の山には、いったん原始の森が破壊された後、二次林が再生できたのです。」「日本の水田稲作農業は、ヨーロッパの畑作が家畜と深いつながりをもって発展したのに対し、人里周辺の二次林の資源と深いつながりを維持して発展したのです。人里周辺の森は、水田の灌漑用水を定常的に維持するのになくてはならない存在です。さらにアカマツ林や雑木林の下草は、水田の肥料として大変重要なものでした。建築材や土木用材の供給地としても、森はなくてはならないものでした」と。
水田を作る当初は、日本でも森林破壊が行われたが、その水田は、良質な水の供給を必要としたことから、逆に水を貯え、養分を加える森を必要としたため里山は再生された。こうして日本の緑が守られてきたのである。
最近では、漁業関係者が山に植林するのだという。湾や沿岸で魚が捕れなくなった原因は、海に流れ入る川の養分が不足しているためで、それは川の上流の森林を伐採しすぎたためであることがわかったからだという。
・豊葦原の瑞穂の国
我が日本の祖先は、遠い遠い昔、苦労して稲作を選択し、定着させてきた。そのことにより、緑が残り、多くの人口を養うことができたのだが、この稲作の選択がもたらしたものはそればかりではない。自然環境が豊饒を左右したことから、もともとのアニミズムと相まって、祖先の神は勿論、田の神、風の神や水の神など天神地祇への祈りや儀式などの稲作文化を育むことになったし、また、農耕作業は、灌漑用水路の確保など多くの人々の労力を必要としたことから、人と人との和の精神、協調協力の心をも養うこととなった。そこにこそ、フランシス・フクヤマのいう高信頼社会の原点があり、我が国の大きな発展の原動力があったと私は考えている。
自然科学などというものがない昔、宗教や儀式は、社会を安定させる機能をごく自然に担っていた。宗教的儀式は、ヒトを日常から隔離して、自分自身と向き合える機会を提供した。それは、自分自身の日常を振り返り反省する時間を与えるためのものであった。そして、その個人個人の内省を通じて、社会の秩序・安定が維持されてきたのである。そういう意味では、宗教や儀式といったものは、個人のものであると同時に社会全体の安定装置でもあった。
宗教の儀式には、あらゆるものがメッセージとしてこもっていた。「食べ物を大切にしなさい」「自然・環境を大切にしなさい」「謙虚でありなさい」「畏れの気持ち」等々。これらは、社会のメンバーの最大多数の最大幸福を実現する上で、不可欠のものだったのである。これらのメッセージは、いずれにせよ何らかの形で社会に組み込まれねばならないものであり、宗教は、それを儀式でわからせるものであり、道徳は、それを言葉でわからせるものであると言えよう。
時代がたつにつれ、社会を安定させるための装置は、宗教や道徳以外にも様々なものが発明されてきた。議会制民主主義、普通選挙、三権分立、こういった社会制度の発明・発展は、社会を安定させるのに大いに役立ってきた。宗教や儀式は、これらの社会システムが完備されてくるに従って、次第にその座を譲り、宗教は個人のものとなっていったのである。
問題は、それでは、こういった新しい社会システムによって、旧来の社会の安定装置は全く不要なものになったのかと言う点である。私は、そうではないと思っている。私は、日本の伝統的社会、そして、日本の喜びや悲しみとともにあった天皇の御存在は大切にしてゆかねばならないと固く信じている。
政治の世界にいる人間が言うのも何だが、政治は常に混乱する危険性をはらんでいる。今は、比較的安定した日本社会ではあるが、今後百年、二百年の間、政治的大混乱が日本を襲わないと誰が言い得ようか。日本人が日本人を殺し合うというようなことが未来永劫絶対に起こらないと誰が言い得ようか。その可能性は、誰も否定できない。
不幸にして、内乱という日本人同士が傷つけあう事態に直面したとき、日本の政治システムが、それを救えるだけの機能を果たせるとは限らない。
終戦後、昭和天皇がマッカーサー元帥を訪ねたとき、「自分はどうなってもいいから日本の国民を助けてほしい」とおっしゃったという話が残っている。このとき、天皇は、いかなる政治家よりも日本全体のことに思いをいたしている存在であることが、国民の間に明らかになったのである。
将来、日本が混乱しどうしようもなくなったとき、それをおさめることができる究極の存在は、御皇室である。その時のためにも、私は、御皇室の尊厳を維持しなければならないと考えている。
神話による我が国の始まりは、天上の天照大御神が、子孫に稲穂を授け、地上を治めさせたところから始まっている。つまり、稲作を中心にした社会を築き、精進努力するならば、それによって、国は発展していくとの理想が神話にうたわれているのである。その地上の国は、「豊葦原の瑞穂の国」と呼ばれた。御皇室では、年間様々な祭儀が行なわれているが、その中でも特に重要な祭儀が、稲作の収穫を神に奉告され、新穀を共に食される「新嘗祭」と呼ばれる儀式である。歴代の天皇は、この祭儀を大切にされ、瑞穂の国の理想、心を今に至るまで伝えてこられたのである。御皇室が守り続けてこられた瑞穂の国の理想は、今なお、今日において、我が国の原点であり、我が国社会の安定システムの原点なのである。
・失地の回復を!
いま、我々が直面しているのは、いわゆる「景気の低迷」とか「政治の貧困」という問題もさることながら、根元的な社会システムの危機であると私は考える。
我々が取り組むべきは、現在我が国にまだ残されている資産・人材をはじめ社会的ストックをフルに活用して、今失われつつあるものを取り戻すという作業ではないか。いわゆる「失地回復」の壮途に立つことである。そのためには、外から持ち込まれた物差しで我が国の制度や組織をズタズタにするのではなく、本来の「日本」を取り戻し、我が国の存立と調和の取れた国際社会の建設に向かうということでなければならない。経済も外交も治安や安全保障も教育や福祉も環境政策も、その大きな文脈の中で見直されるべきである。
国であれ、企業であれ、人であれ、進むべき道が見えなくなったとき、原点に返って考えることが大切だ。自分が「何者か」、自らの基準と価値を示すことのみが、国際社会の中で生き抜く指標であり、力である。戦後の輝かしい経済復興の末に、かくも手痛い現実を突きつけられている理由は、我々が原点を見失ったからに相違ない。
「失地回復」はここから始めるしかない。
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