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政策提言
日本再生の視座
vol.1/ 改革の指標としての国家の原点

vol.2/ 国家戦略に基づいた公共事業改革
はじめに
戦略的公共事業を進める藤井流四原則
公共事業のフロー効果について
高速道路建設の改革
真の改革に取り組む

vol.3/ 国民のための農業食糧政策
vol.4/ 戦後経済の検証と今後
vol.5/ 我が国経済の原点と新潮流
vol.6/ 少子高齢化社会「日本」のとるべき戦略
vol.7/ 未来を拓く教育改革


・はじめに
 公共事業はいったい誰のものか、が問われている。多くの国民は、公共事業は、役所や事業者、あるいは一部の政治家のものだと思っているのではないか。
 言うまでもないが、公共事業は、本来国民のものである。そして、それは国家的見地から戦略的に整備されるものである。
 私が危惧するのは、公共事業悪者論が跳梁跋扈することによって、真に国家的見地から必要とされる公共事業にまでブレーキがかかり、国家百年の計を失うことになりかねないという点である。
 もちろん私も、毎年累積されていく国や自治体の財政赤字について心配している。すべての政策は、財政の制約の中で、いかにメリハリを付けてゆくべきかという問題だということもよく解っている。大切なのは、すべての政策の中で公共事業をきちんと戦略的に位置づけてゆくことにある。それはとりもなおさず、国民の手に公共事業を取り戻すということであり、国家としてあるべき社会資本の姿を明確にすると言うことでもある。
 失った信頼は簡単には戻らない。そこでまず、私は、我々はいかなる社会を目指しているかという国家戦略に基づいた社会資本のあり方を論ずることが大事だと考えている。国民にとって、港湾も大事だし、道路も大事だし、橋も大事だ。しかし、財源は限られている。それぞれの公共事業の有機的な連携を最大限考慮した、知恵のある社会資本整備が求められている。それを全体の姿として示すことだ。いかなる社会を目指すのか。環境にも配慮が必要だ。もちろん高齢者への目配りも大切だ。産業にとっても便利でなければならない。
 望ましい社会資本を考えると言うことは、本来我々の社会の「夢」を語ることでもあるのだ。我々はその原点を忘れていないか。今、その原点に立ち戻ることが何よりも大切に思えてならない。
 全体像の次に大切なのは、個々の事業に対しても信頼感を取り戻すことである。そのために私が提案したいのは、個々の事業を推進するにあたっての基本原則のようなものを国民的合意の下で構築することだ。


・戦略的公共事業を進める藤井流四原則
 さて、とにかく何もかもが未整備だった時代は、農業生産や工業生産に直結する投資が優先され、やるべき事は幾らでもあった。しかし、戦後50年以上が経過し、諸外国に比して未だ課題が多いとはいえ、産業構造が変わり、国民生活も大きく変化してきた中で、各省が抱える事業のシェアがいっこうに変わらないというのは、やはり変である。最初に申し上げたように公共事業というのは、最終的に国民の利益の為に行うものだ。限られた財源の中で実施される事業は、それぞれ目的と効果と完成時期が明確であることが必要であることは当然だ。
 いつまでに何ができるのか、その費用はいくらで、誰が負担するのか。その結果、目標のうち、何がどの程度満たされるのか等の事業効果が見えなければならない。
 政府はこれまで数次に渡り「全国総合開発計画」を作成し、社会資本整備の方向性を示し、その一部は着実に進展をみている。しかし、グランドデザインとして見た場合どうであろうか。
 まず「明確な目標」という観点で見てみると、例えば「国土の均衡ある発展」は総合計画の中心的命題である。しかし「均衡ある発展」とは何か。どのような状態を均衡と見なすのか、「均衡ある発展」はなぜ国家目標なのかということは明確でない。例えば、批判の矢面に立っている高規格幹線道路網1万4,000キロメートル構想は最寄りの高速道路インターチェンジまでへの平均アクセス時間を30分程度にするということであったが、それが国民にとってどういう意味をもっているのか、国際競争力をどの程度押し上げることになるのか。計画策定サイドで相当な議論がなされたであろうことは間違いないと思うが、全総では、これらは明確でない。
 「総合性」からはどうか。限られた国家あるいは地方予算の中で、高規格幹線道路網と空港整備や港湾整備はどのように連動して行われるのか、高速道路のどの区間が、あるいはどこの空港が優先されるのか、またそれはなぜか、各種社会資本ごとにどれだけの予算が充当されるべきなのか。既に民営化されているとはいえJR鉄道網との連動や競合はどうであるのか。そうした事が調査されて事業決定されなければならない。
 建設省と運輸省が国土交通省として統合されたとはいえ、高速道路と港と空港が整合性を持って計画され、それぞれのキャパシティのバランスや、国際競争力を高める為のたとえばアジアの中での位置づけなどが、どれほど真剣に議論され、決定されているかと言えば、残念ながらそのようなシステムにはなっているとは思えない。まして農林水産省や厚生労働省をはじめ各省庁の事業が、他省との整合性を持って検討されているとは言い難い。
 また、「整備にかかる時間」についてはどうだろうか。例えば高規格幹線道路網の完成時期は「21世紀初頭」となっているが、明確な目標時期が設定できないという事実は明らかに問題だ。また農業基盤整備事業なども、どの程度の生産性を確保するのか、いつまでにその目標を達成するのか、時間を要するというなら要するで、それがどのくらいなのか、その理由は何であるのかは明確にされなければならない。でなければ、投資額や金利負担や投資効果について検証することができない。それができないのはなぜか。それは、例えば地元との調整に要する時間や事業費、投下可能資金等が不透明だからだ。その基底には、現在の法律や各種制度上の枠組みの下で社会資本整備の実施可能性が検討され、それを基に「目標」が定められるという構造がある。つまり、目標を達成するためにその枠組みを設定するのではなく、現行の枠組みを前提に目標が設定されるというシステムだからだ。これは明らかにおかしいと思う。
 いずれにせよ、「国土総合計画」は方向性やイメージを表現してはいるが、残念ながら具体性はない。実際には、示されたイメージに則り、各事業ごとに五カ年計画等が各省各局で策定され、バラバラに実施されてきたというのが現実だ。
 国民がほんとうに必要としているのは、各省の要求を積み上げたものではなく、全国として、各地域として、ネットワークとして、産業・物流・人流・情報・教育・福祉・環境・国土安全など、様々な角度から、どういう施設や整備をどういう規模で何時までに整備するかという目標と、整備に必要なコスト、そして整備手法が示されるものでなければならないと思う。
 また、事業費が容易に変更される現在の仕組みにもメスを入れる必要がある。大型プロジェクトについて、開始前に公表された事業費が、終了時点では五割も増えていたというのはけっして珍しいことではない。一体なぜそのようなことが生じるのか。制度というよりも、民間も含めた日本独特の長い慣例と言ったほうがよいかもしれない。一つには、事業期間が不明確であり、あるいは遅延する間に物価上昇があるということはありうる。しかし、それでは説明できないことが余りに多い。「想定していた地質と異なっていた」、「現地に入ったところ自然環境保全のための工事が増えた」等々。しかしこれらの弁明は説得力に乏しいと思う。日本の土木技術は世界の最高峰にあるのではなかったか。それをフルに動員してもなお、「予測できなかった」というのだろうか。もしそうなら、予定とする事業費はある一定の幅をもって設定すべきだ。あるいは、その程度の推定しかできない調査結果の下では事業着手を留保し、事業費がもっと精度良く確定できるまで、事業着手を留保しつつ調査を続ければよいのだ。 しかし本質はそういうことではないのではないか。俗に「小さく生んで大きく育てる」と言われる。子供のことではない。公共事業のことだ。財政部局の理解を得るために、敢えて小さ目の事業費で説明し、着手してしまえばこちらのものとばかりに、色々理屈をつけて、元々想定していたとおりの事業費で工事を完成させるという構図が見え隠れする。
 これは、官僚のモラルに係わる問題である。姑息な手を用いる必要はない。はじめから正々堂々と所要事業費を計上すればよいのだ。既に、各省では事業評価制度を取り入れており、事業推進中にも評価が行われることとなっている。その際、当初の事業費に比べ大幅な増額が見込まれる事業については徹底的にその理由の検証を行うとともに、それが説明不能な場合、あるいは当初からその増額が見込まれていて当然だったと思われる場合は、その責任の在り方まで含めて明確にし、場合によっては公表等も行うべきだ。
 もう一点、事業に着手する以前の段階で、環境アセスメントや地域住民の同意などをはじめとした手厚い調整過程を経るという現在のシステムは、一方で、事業が必要であり妥当だと確認されたら、強力にそれを推進できるというシステムと一体であるべきだと思う。例えばフランスにおいては、事業の「公共性宣言」が発出された後には、当該事業は断固として進められる。ところが、現在の日本では環境アセスメントはおろか、土地収用法上の事業認定が済んだ後にも、座り込みやその他の活動によって事業を遅らせることが可能となってしまっている。あるいは、土地所有者との手厚い調整システムは、例えばイデオロギーを伴った「一坪地主」等の活動の前では、事業遅延のためのシステムとなり果てている。
 私は現在の事前調整システムが十分なものだと主張したいわけではない。それが国民の諸権利にとって不十分な面があるというなら、十分な議論を行った上で改正すればよい。しかし、所定のルールを経て定まった事業が、様々な抵抗に遭って進まない状態というのは異常だと言いたいのだ。十分な事前調整と、一旦決まったら断固として行うという仕組みとは、一体不可分のものでなければならない。
 以上のような取り組みは、公共事業を執行する立場には厳しいものに思えるかもしれない。しかし、社会資本に係るグランドデザインを構築し、それに基づき社会資本整備を的確に進めるためには不可避の取り組みだと考える。それはまた、結果として公共事業を役所や事業者から、国民の手に取り戻すことでもある。
 こうした点を踏まえて、公共事業の改革に当たっては、四つの原則を提案したい。
 第一は、国や自治体が実施する事業は、事業目的・事業効果・事業費・完成時期を明確にする。そのために民間機関等による実現可能性調査を行った後、実施地域をはじめ利害関係者による意見調整を行う。これを踏まえて事業の優先順位を確定する。事業の規格は地域の実情を踏まえ、全国一律の基準を押しつけない。
 第二は、環境問題に関しては、環境先進国としての自信を持って、国際的にトップレベルのアセスメントを行う。
 第三は、PFI等の手法を活用すると共に、財政計画を明確にし、国と地方の負担の割合も柔軟な構造にする。
 第四は、公共の利益として事業が決定された後は、事業のスピード化を計り、職業的運動家などによる妨害で事業が滞らない制度とする。
 いずれにしても、公共事業を考える上で悩ましいのは財政問題である。国や地方の財政が深刻化する中で、高速道路一つとっても、どこまで作るのか、国民的コンセンサスを得るのは難しくなっている。このようなときにこそ、藤井流四原則でもって公共事業を律していくことが大切である。


・公共事業のフロー効果について
 ところで、公共事業の経済刺激効果(いわゆるフロー効果)が低下しており、景気刺激剤としての効果は期待できないという指摘がある。この指摘は景気刺激策という限りにおいては正しい。しかしながら、だからといって「これだけ公共事業を行っても景気が回復しないのだから、そろそろ止めるべきだ」という意見になると、それはおかしい。
 なぜなら、フロー効果はあくまで公共事業の副次的効果なのであって、その大小で公共事業そのものの要否を議論することは、本質を外しているからだ。公共事業は、そのストック効果が本質である。すなわち、形成された社会資本によって、国民生活にどのような利便を提供しうるのか、地域経済をどのように活性化させうるのか、逆に現状で生じている経済損失や環境負荷がどの程度軽減されるのか等によってその要否が検討されるべきだ。景気刺激策というのはそのスピード調整を担っているに過ぎない。この点は明確にしておきたい。
 ここで、公共事業が我が国の経済全般の中でどのような位置を占めているかという点について記しておきたい。
 公的固定資本形成(IG)がどう推移してきたかは一つの指標だ。IGのGDPに占める比率は、バブル最中の平成2年では6.5%であったが、それが崩壊した平成7年では8.6%に拡大している。これによりGDPは1.5%以上押し上げられた。その後、小渕内閣における景気のてこ入れで、IG比が7.7%の頃はGDPもかろうじてプラス成長であった。その後、IG比は低下の一途であり、それに呼応するようにGDP伸率も平成11年を除き低下し続けている。昨年のGDP伸率はマイナス2.4%と、この四半世紀で最悪の状況であるが、IG比はバブル当時の最低値である6.4%まで引き下げられた。そうした面で見ると、公共事業が我が国の経済成長に与える影響はかなり大きいと言わざるを得ない。
 一方国際的に見ると、先進諸国といわれる国々では、IGはだいたい平均してGDPの3〜4%ぐらいである。そうした国々はだいたい100年から200年という年月をかけて社会資本が蓄積されてきているので一概に比較はできないが、我が国も将来的にその程度の比率にすることが適当だと思われる。
 しかしながら、前述のような状況を考えると、いきなり半減するということは、ちょうど肥満を指摘された人に施されるべきダイエットを、体力を失い、痩せこけた病人に施しているようなものなので、これではいくら「構造改革」と力んでみても、景気の回復はままならない。もちろん財政赤字も不良債権も放置はできない。しかし、これらは景気回復なくして減少させることは困難だ。確かに、いつまでも借金で公共事業を続けることはできないが、病人から杖や車いすを取り上げて、「自力で動けないのも改革に伴う痛み」とすることは、責任ある政治の姿とは言えない。
 もう一点、公共投資の経済効果を小さくしている原因として、現在の信用収縮状況も無視できない。一般に事業の元請け企業があり、下請け、孫請けなどの構造があるが、元請け企業であるゼネコンの不良債権問題などで、受注費は結局銀行に押さえられ、下請け以下の企業や、納入業者への支払いが非常に厳しい状況に置かれているのが現実であり、こうした点も無視することはできない。
 加えて「雇用」の問題にも触れておきたい。(財)建設経済研究所が発表した試算によれば平成15年度公共投資予算が平成14年度と同額だった場合、民需の冷え込みを背景に、新たに29万人が失業すると予測している。仮に政府(国)の投資額が10%カットされれば、地方公共団体の投資額が変わらなくても、その数は38万人に拡大する。政府は規制の緩和や構造改革が進めば、情報通信分野やベンチャーで新たな雇用が創出されるとしたが、実際にはそうなっていない。
 地元の話を出して恐縮だが、私の選挙区に世界遺産に指定された飛騨の「白川郷」がある。この地区の私の後援会長が温泉を掘り当て、昨年民宿を作って17人の従業員を募集したところ、県外から200人近くの応募があったという。採用された方の中には東証一部上場の情報通信企業をリストラされた方もいたということだ。それほど現在の雇用状況は深刻である。
 また、現在、我が国からの海外旅行者は年間1,700万人弱いるが、海外からの旅行者は470万人余りに過ぎない。国際旅行収支は約3.5兆円の赤字である。小泉総理も提唱しているが、日本にはまだ多くの魅力的な観光資源がいくらでもあり、我が国の観光振興に政府が本格的にてこ入れをし、観光産業分野での雇用拡大を図ることができれば相当の労働吸収力を期待しうると思う。建設分野からの雇用吸収を考えると、そのあたりの施策に力を入れるべきだと私は考えている。
 さて現下の問題は、国も地方も財源が不足し、これまでのような事業のボリュームを維持できないが、一方で公共事業によって支えられている経済という現実があり、経済成長と事業縮小を同時にどう実現させるのかという二律背反の命題を突きつけられていることである。
 そこで、私はとりあえず事業量を確保できるというだけで、旧態の公共事業を続けることから決別し、四原則を踏まえ、長期使用が可能で社会全体の生産性を高める公共投資と国民生活の安全性を考えたときにどうしてもはずせない事業を軸に、公共投資の中身について改革を進めていくべきだと思う。
 昨年米国のジョージメーソン大学の研究グループが日米の公共事業政策の相違について研究発表したが、それによると顕著に違うのは米国は公共投資を道路、空港、港湾等、社会生産性を高める分野に重点化してきたが、日本はずっとシェアが固定されていて変わらなかった。この政策の違いが、近年の米国の堅調な経済発展に対し、日本は「失われた10年」になってしまった根本原因であると分析している。今後、我が国は少子高齢化と人口減少を避けて通れない。資源配分についても、抜本的な見直しをしなければならないのは当然だ。私の提案する四原則を適用すれば、どういう公共投資がコストベネフィットに優れているのかはっきりとする。政治家の力量が問われている。


・高速道路建設の改革
 最近のホットなテーマである日本道路公団の民営化問題にも触れておきたい。
 去る12月6日に道路関係四公団民営化推進委員会の意見書が、総理に提出されたが、議論は、委員の間で十分なコンセンサスが得られないまま終盤にいたり、「多数決で決めるようなものではない」と主張した今井委員長が辞任する中で多数決で採択された。「意見書」は、それまで論議されていないような内容を含むもので、単に意見の集約が見られなかったということでなく、特定の委員の「持論」が委員会の答申という体裁を取ったという感を否定できず、私としては残念な思いであった。
 民営化推進委員会が提出した意見書の内容のうち、コストの削減やファミリー企業の問題、また天下り問題などの事項については、当然ながら改善すべきものであるが、私が賛成できない点を述べておきたい。
 意見書は「早期債務返済」を最優先としている一方で、民営化後10年を目途に、新会社は機構が所有する道路施設を買い取り私有財産化する。そして料金は利潤を含むものとして新会社が自主的に決定する旨を謳っているが、これでは膨大な固定資産税や法人税の課税を免れず、「早期返済」はできなくなる。
 更に「新会社は、その設立目的に照らし、今後の高速道路の建設に関し相応の役割を果たすべき」としながら、機構から新会社への新規投資資金の支出を全面的に否定し、機構の貸付料収入は全額債務返済のみに充当し、新会社に余裕金がでた場合も、建設にではなく繰り上げ返済に充当する枠組みを基本としている。これでは事実上新規の建設はできない。
 私は、野放図に高速道路を作り続けて良いとは思わないし、道路公団の運営がすべて国民の利益にかなっているとも思わないが、少なくとも1万キロ余の高速道路ネットワークを整備することは我が国全体の利益にかなうと考えている。
 道路は、社会生産性の高いインフラである。鉄道や航空・船舶と異なり、定められたダイヤによって運行されるわけではない道路はフレキシブルな利用を可能とする社会資産であるし、モータリゼーションの発達はまさにそうした利点に依るところが大きい。特に、産業を支える物流の効率化はトラック等の道路輸送に頼るところであり、高速道路は産業の血管といって過言でない。世界中のどの国であれ、高速道路を中心とした道路ネットワークの構築は国家的な課題となっている。
 米国が、延長8万キロに及ぶ世界最大の高速道路網を保有していることはさておき、たとえば中国は20年前は高速道路がゼロであったが、わずかこの20年で2万キロが整備され、現在は世界第二位の高速道路大国となっている。現在でも凄まじいペースで整備を進めているが、これは中国が近年驚異的な経済発展を実現していることと無関係ではない。単に労働コストが安いだけでは、製造業は発達しない。効率的な資材・人材調達と効率的な物流システムが構築されて、はじめて経済発展が可能となる事を考えると、高速道路網整備に本腰を入れている中国の潜在能力は軽視できない。
 一方、日本の高速道路整備の状況はどうであろうか?
 我が国の国土政策においては、多極分散型社会実現の為に高速交通網と情報通信網整備の必要が掲げられ、昭和62年の第四次全国総合開発計画で策定された高速道路網計画は1万1,520キロであるが、いまだに3分の1以上が未整備だ。道路ネットワーク整備は、諸外国に比べ大変遅れているというのが実情である。
 たとえば私が選出されている東海地区を中心にした中部五県(愛知・岐阜・三重・静岡・長野)は、スイスとほぼ同じ面積を持つ。人口は中部がスイスの約2倍、GDPはスイスの2倍半に近い。ところが、高速道路延長でみると、スイスの方が約1.7倍も整備されている。こういう比較が意味を持つかどうか、異論もあるかもしれないが、農林水産・商工・各種サービス業等の産業政策や安全保障政策などは、交通ネットワークのあり方と切り離しては、議論できない。
 たとえば、全国津々浦々、宅急便は私たちの生活に密着したサービスとして利用されている。一部の地域を除き、現在では発送の翌日には到着する。このサービスを可能にしているのは言うまでもなく高速道路網である。
 地方の高速道路は採算が取れないと言われるが、たとえば北陸自動車道の親不知IC〜朝日IC間が開通した昭和61年からわずか2年で交通量は1.4倍、北陸全体でのコンテナ貨物の取扱量は平成元年から10年で、実に5.2倍(全国平均では1.5倍)に伸びた。投資額に対する通行料金収入はトータルで確かに赤字だが、この路線によって日本海側の貿易関連物流需要が喚起され、社会生産性は大きなプラスになった事は間違いない。余談だが、ここが「親不知・子不知」と言われたのは、その昔、道が高い山の上を通っていて隣村へ行くのに山を越すのでは時間と労力が大変で、皆狭い海岸線を通っていた。波が穏やかな時期はよいが、冬場の荒いときは命がけになる。親も初めは子の手を引いて一所懸命走るが、いざとなると手を離して我先に渡る。渡り終えてからお互いの無事を喜んだという故事に由来する。だからということではないが、まさに社会資本整備は、そうした国土環境を克服し、住み良い国をつくるという目的で行われるものであろう。
 また、渋滞による経済損失は年間12兆円と試算されているが、長く論議されている大都市集中の緩和・分散化は、そうした損失を無くし、基盤的インフラを効率的に活用することも大きな目的として行われてきたはずだ。高速道路ネットワークの早期実現により交通の分散化が進められれば、そうした損失を軽減することができるし、渋滞時の排気ガスによる環境汚染も著しく低減することが可能となる。言うまでもなく道路網はネットワークとしてつながって初めてその機能を100%発揮することができる。つぎはぎの高速道路は、それまでの投資を無にしてしまう行為であり、少なくとも国が整備すると決めた9,342キロメートルについては、一日も早い整備を進めるべきだ。  しかし、だからといって高速道路はこれまでのやり方で建設を進めるべきだということではない。現在基本計画に対する整備率は3分の2ぐらいだが、現状だと残りを完成させる為にどのぐらいの費用と時間がかかるのであろうか。
 国土交通省は当初、残事業について、約20兆円程度かかるという試算を出していた。そして、これらの事業を完成させる為にまだ約15年の歳月を要するとしている。今般公団改革の議論の中で、これまでの計画から、工法や規格の見直し等で、3兆円以上の事業費を圧縮することが可能だという試算などが示されたが、そうした検証の積み上げは重要だ。
 高速道路ネットワークが国民生活に果たしている役割を考えると、私はこうしたコストの見直しや、各路線の優先度などについて建設的な議論を積み重ねて、限られた財源を有効に生かし、国民の期待に応える施策を実現していく必要があると考える。


・真の改革に取り組む
 平成15年度予算案は、81兆円あまりの規模だが一般会計の税収見込みは41.8兆円に過ぎない。後は国債の発行によって賄おうとしている。これは大変な状況だが、そうはいってもまずはこれを成立させなければならない。
 しかしながら、我が国の将来の為に、やはり抜本的な構造改革は必要だ。とはいえ、麻酔も打たず、養分補給もせず、とりあえずメスを入れやすい所から処置しようと言うのでは、患者が助からない。
 今一度、行政コスト・福祉・医療をはじめ国全体のバランスを考えながら、財政の適正規模を求めていく必要があると思う。単に「公共事業が悪だ」というのではなく、将来へ向けたいかなる投資が効果的なのか、公共事業の中身について取捨選択をして適切な規模と質を回復し景気を下支えしながら、将来的には欧米なみにしていくというプログラムを示す必要がある。その際、公共投資の質や配分を見直すということになれば、それこそ新たな「抵抗勢力」が現れるだろう。だが、私はそれが不可欠な道のりだと思うし、政府や国会議員が真に取り組むべきは、正にそのような改革なのである。
 現在国会では、これまで別々に策定されてきた道路や港湾・空港・治水など9本の事業別五カ年計画を廃止し、平成15年度以降は社会資本整備を一体的に進めるための社会資本整備重点計画法案が審議されている。このことは画期的なことであるが、実施に当たって、これまでのような各省の要求の積み上げという内容にならない為にも、様々な知恵が必要である。
 省益や既得権にとらわれず、産業再生や雇用問題をふまえた戦略的・総合的社会資本整備計画を一日も早く立ち上げるために、私も政治家として、その責務を果たしていく決意である。