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・はじめに
国民の安全をいかに保障するかという観点から、政治が取り組まねばならない課題の一つは、食糧の問題である。
中国では、食べ物で国民に苦労させないということが、有史以来の政治の最も基本的なテーマである。
食糧問題は、国民から見れば、最も身近で、実は最も重要な政策課題でもある。
およそあらゆる政策を講じるにあたっては、広く国民各層と意思疎通をしながら、良い政策を探ってゆくことが不可欠であるが、とりわけ、我々が日々口にする食糧政策であれば、国民との緊密なコミュニケーションの中から解決策を探ってゆくという作業がなおさら重要である。
ところが、どちらかといえば、今までの農業政策は、残念ながら、農業従事者のためのものというイメージが定着しつつある。農業従事者とのコミュニケーションに比べ、一般の国民とのコミュニケーションがあまりに欠けているからである。
本小論で試みたいと思っているのは、豊富なデータを提供し、広く読者の方々とのコミュニケーションを行うことによって、食糧農業政策を探っていきたいと言うことである。
とかく批判の多い我が国の農業政策であるが、国民の理解の下で、我が国の食糧政策を見つめ直すと言うことを行っていけば、結局は、農業従事者の方々のためにもなる。私はそう確信している。
ところで、終戦直後に思いを致せば、我が国は、農村の疲弊、復員軍人の増大などのため、極度の食糧不足に陥った。買い出し列車ではないが、現在のご高齢の方々にとって、食べるものを確保するためにされたご苦労は、最も苦しい思い出の一つになっている。
しかしながら、その後の経済成長によって、我が国は急速に豊かになり、今や、飽食の時代を迎えて久しい。現世代の大部分の人々にとって、食糧難に苦しんだ時代は、歴史の彼方の出来事になっているのである。
それでは、我が国の食糧問題は、もう大した問題ではなくなっているのか。答えは、ノーである。実は、この問題こそ、将来に向けて、我が国の政治が取り組まねばならない課題の中で、徐々に重要性を増しつつある大事な問題なのである。
さっそく、コミュニケーションをはじめることとしたい。
・世界の食糧生産の現状
まず、食料を巡る世界情勢であるが、徐々に危険水域に近づいていると言って良かろう。
今後の世界全体の食糧需要は、途上国を中心とした人口の大幅増大が予想されることを背景に、大幅増が避けられない情勢となっている。
現在、世界の総人口は、62億人と言われるが、あと半世紀のちの2050年には、89億人になると見込まれている。単純に言って、人口は1.5倍に膨れあがることになる。
ところが、農業の生産性は、土地の面積や気候などの自然環境に制約され、製造業や情報産業のような飛躍的な生産性の向上は、見込めない。1.5倍の人口増大に追いつく農業生産の拡大は、それだけで相当の努力を要するものと言えよう。
しかも、今後の人口増大は、主に、途上国において顕著となる。途上国においては、かつての日本がそうであったように、その生活水準の上昇とともに、これまで穀物中心の食生活から畜産物のウェイトが高まっていくことが予想される。このことは、穀物の生産を人口の増加率以上のスピードで高めてゆかなければならないことを意味する。
たとえば、農林水産省の資料によれば、畜産物1キログラムの生産に必要な飼料用穀物量は、鶏卵で3キログラム、鶏肉で4キログラム、豚肉で7キログラム、牛肉では何と11キログラムとなっている。食生活の贅沢化は、こうした膨大な穀物消費の上に乗って初めて成り立つのである。
このように、途上国の食生活の向上を計算に入れると、今後の、穀物需要は、1.5倍などというレベルではなく、その何倍もの生産の拡大を目指さねばならないということになる。
果たして、この需要増に対応した食糧生産の向上は可能なのだろうか。
一言で言えば、かなり難しいということにならざるを得ない。なぜなら、人口の増加はねずみ算的増加であるのに対し、農業生産力の増大は、段階的にならざるを得ないからである。
地球という限りある環境の中で、耕作面積を拡大することには自ずから限界がある。現実にも、1961年から63年にかけて12.7億ヘクタールであった世界全体の耕作面積は、1998年から2000年の時点でも、13.7億ヘクタールであり、35年かけてわずか7.9%増えたに過ぎない。同じように穀物の収穫面積で見ても、ほぼ同じ時期で、6.5億ヘクタールから6.7億ヘクタールに増大しただけであり、率にすれば、35年かけて3%増大しただけである。
加えて、国連環境計画(UNEP)の報告によれば、毎年500万ヘクタールという猛スピードで砂漠化が進行しているとのことであるが、これは実に、岐阜県の5倍の面積にあたる。また、2001年の世界森林白書は、熱帯地帯の森林が、毎年1,230万ヘクタールの勢いで減少しているというデータを公表している。
このように、耕地面積という点では、世界全体を見渡してみても、どうも、はかばかしくない。増大する世界の食糧需要に応えるためには、生産効率を上げること、すなわち、単位当たりの収穫量を飛躍的に拡大させるしかない。
ところが、こちらの方も、残念ながら、その伸びは鈍化している。1960年代に年率3%であった単位当たりの収穫量の伸びは、70年代に年率2%となり、80年代から最近にかけては、1.6%と一段と下がってきているのである。
結局、世界の食糧供給力を飛躍的に増大させる秘策はない。しかも、現状は、既に多くの途上国が栄養不足の国民を抱えるという状況にある。飽食の日本とは対照的に、世界の栄養不足人口は、国連食糧農業機構(FAO)によれば、8億人に達しようとしているとのことである。
今後の世界の食糧供給が需要増大を賄えるかどうか。こういう客観的データを見てくれば、悲観的にならざるを得ない。
・我が国の食糧生産の現状
このような世界の状況の中で、我が国の食糧問題をどう考えればいいのか。まず、注目しなければならないのは、我が国が、既に、世界最大の食糧の純輸入国になっている点である。
しかも、この食料輸入を賄うために、海外の耕地面積のどのくらいが使われているのかを試算すると、なんと、1,200万ヘクタールであり、日本の耕地面積(479万ヘクタール)の2.5倍になるというから驚きである。
食糧自給率も急低下してきている。
戦後15年ほど経た1960年においては、我が国の食料自給状況は、かなり安定したものだった。カロリーベースの自給率は82%あり、穀物自給率も78%の高水準にあった。ちなみにこれはカロリーベースで現在のイギリス並みの水準である。
しかしながら、その後、我が国の食糧自給率は急降下し、現在では、カロリーベースで40%、穀物自給率では、なんと、28%になっている。このように食糧自給率が低い水準の国は、先進国には存在しない。経済協力開発機構(OECD)加盟30ヶ国の中では、アイスランドをかろうじて抑え、29位である。
エネルギーの世界では、日本で石油が生産されず、しかもその輸入先が中東地域に偏っていることが安定供給上の懸案とされているが、実は食糧も同じような状況にある。
たとえば、小麦についてみれば、日本は総消費量の89%(2001年)を輸入に頼っているが、輸入先もアメリカとカナダという特定の地域に集中し、この両国で全輸入量の79%を占めている。
もっとも、こういった国々は、農産物を戦略物資として外交上活用しようという意図が感じられない国々であるので、かつての中東諸国とは異なると言えようが、一方で、農産物が気候に左右される生産物であるという点を忘れてはならない。つまり、気候によって、供給が大きく変動するおそれは否定できず、その場合、自国民の供給を間違いなく優先するという宿命を背負ったものなのである。
国際穀物需給が逼迫した1973年に、アメリカが大豆の輸出を制限し、日本の味噌・しょうゆ・豆腐などに影響が出るとして、大騒ぎになったことを記憶されている方も多いであろう。
このように、我が国の食料自給は、先進諸国と比較しても際立った脆弱性を示している。しかも、この傾向は、戦後、急速に進行したものであり、長い日本の歴史上、初めて迎える事態である。今後を見てもこの傾向が好転する見通しは、残念ながら小さい。
国民一人一人も、自らの食糧の問題であるにもかかわらず、必ずしも、正確に実態を理解しているわけではない。一日三度食事をしながらも、摂取しているカロリーの6割もが海外から入ってきていることに思いを致すことは、まず無い。
だが、さすがに、ここに来て、このままで本当にいいのかという、食料確保に関する国民の漠然とした不安は高まってきている。
旧総理府の「農産物貿易に関する世論調査(平成12年7月)」によれば、我が国の食糧供給について、非常に不安があると答えた人が、26.6%、ある程度不安があると答えた人が51.8%おられるということである。これら両方を合わせれば、不安を感じている国民が、78.4%おられるということであり、私はこの数字は、かなりのものだと受け止めている。
しかも、この傾向は、だんだんと強まってきているように思われる。この点を見るために、同じ旧総理府の世論調査を更に見てみたい。
昭和62年から3年ごとに、おおむね同じ質問をして、傾向をチェックしている調査がある。これによれば、「外国より高くても、食糧は生産コストを引き下げながら、できるだけ国内で作る方がよい」と考えている国民が、昭和62年の時点で全体の31.9%であったのが、平成12年の調査では43.6%に達している。
同じように、「外国産より高くても、少なくとも米などの主食となる食糧については、生産コストを引き下げながら国内で作る方がよい」と考えている、いわば、主食自給派とでも言える人々の比率も、おおむね4割前後と高水準で推移しており、平成12年度調査では、40.6%なっている。
これら両者を加えれば、実に84.2%の国民の方々が、多少のコストは犠牲にしても、食糧ないしは、主食については、国内生産に頑張ってもらいたいと考えていることになる。しかも、この数字は、昭和62年には、71.2%だったわけであり、傾向は顕著に強まっていると言える。
私は政治家の基本的な使命として、食料確保について国民に不安を感じさせてはならないと考えている。これらの数字は、今改めて、食料確保の問題に我々政治家が果たすべき役割が増大していることを示しているように思われてならない。
・諸外国の食料政策
我々はまず、国民のために食料をいかにして確保するかという点について、世界各国が懸命の努力をしている点に思いを致さねばならない。
たとえば、ヨーロッパは、長年にわたる食糧自給率向上の努力が実り、食料輸入地域から食料輸出地域へと劇的な転身を遂げた。もともと、ヨーロッパは、18世紀のイギリス産業革命以降、先進的に工業化を進める中で、世界の食料輸入地域としてダントツの位置にあった。第一次世界大戦直前の時点においても、小麦をはじめとして多くの穀物が、非ヨーロッパ地域から輸入されていたのである。
ところが、第二次世界大戦後、ヨーロッパは、地域経済化への歩みを始める。中でも、1957年のローマ条約により導入されたCAPと呼ばれる共通農業政策は、ヨーロッパの食料自給を一気に高めることとなった。EU全体の穀物自給率は、1980年には、100%を突き抜け、90年代はじめには120%に達したのである。
主要国を見ても、例えば、イギリスは、30年代半ば頃、穀物自給率は、わずか30%であったが、50年代はじめに52%に上昇し、80年代前半には、120%へと目覚ましい上昇を実現している。フランスはもともと農業国であったが、やはり、この時期飛躍的に農業生産が拡大し、50年代初めに96%だった穀物自給率は、91年には、215%へと上昇した。ドイツも同様である。50年代はじめの73%から、91年には、なんと114%へと上昇し、穀物輸出国に姿を変えたのである。
ヨーロッパにおいては、17世紀以来、国と国がきびすを接するような形で存在し、度重なる戦争によってその存在が脅かされてきた歴史を持つ。従って、食料安全保障に関しても、極めて深刻に捉える傾向があって当然のことかもしれないが、先に見たようにわが国の食料自給率が急低下している現状と比べれば、正直、嘆息を禁じえないところである。
お隣の中国も、食糧確保に使う神経は並々ならぬものがある。そもそも、中国は、「無糧則乱(食糧無ければ即ち乱れる)」という言葉に代表されているように、長い興亡の歴史の中で、いかに食料を確保するかという問題に頭を悩ませ続けて来た国である。食糧確保が政権維持の第一の課題と言い換えてもいい。従って、現在の中国においても、食料政策は、自給達成が基本方針である。ただ、現実には、必ずしも100%自給にはこだわっておらず、95%を下回らないという目標で政策運営がなされている。中国の凄みは、今後とも人口の急増が想定される中で、この方針を堅持する決意を有している点である。
他方、我が国から見ても、この世界人口の二割を占める中国の動向は、無関心ではいられない事項である。近年、中国では人口増加や生活水準の向上に伴う食肉消費の増加や大豆の輸入増加等の動きが見られる一方、内陸部を中心に耕地の砂漠が進んでおり、世界の食料需給に及ぼすその影響が予断を許されないものとなっているからである。
最後にアメリカについて触れたい。アメリカは世界最大の食糧輸出国であるから、食糧安保の概念が希薄なのではないかと思われがちであるが、実は、そうではない。
例えばブッシュ大統領も、2001年の7月に「自らの国民を食べさせるに足る食料を生産できないような国を想像できようか。そんな国は国際的な圧力に従属する国、危険に直面した国となってしまうだろう」という激烈な演説を行っている。
アメリカにおいては、食糧は、国家安全保障上の重要物資として位置付けられ、緊急時には、外交政策の一環として、大統領は食糧の輸出禁止ができるのである。もっとも現実的には、アメリカが輸出禁止を行っても、他の輸出国が代替してしまい、相手国に一向に効果がないということも幾度か経験しており、実際の禁輸には慎重であるが。
・我が国の課題
このような先進各国の取り組みに触れ、わが国の食糧自給率が急降下している現状を直視するとき、わが国の食糧安全保障について、見直しの時期が到来してきていることは、誰の目にも明らかとなる。聖域なき改革のメスは、ここにも入れられるべきなのである。
政府は、平成12年3月、食料・農業・農村基本計画を策定し、現在40%の総合食料自給率を、平成22年には、45%に引き上げることを目標に掲げた。現在も、自給率が低下している現状を考えれば、この目標には一定の評価を与えることができようが、私個人は、途上国の人口増大等を踏まえれば、達成可能ではなく、あるべき数字を目標に掲げるべきではないかと思っている。
この場合、あるべき数字としては、当面5割以上とすることが適切であろう。もちろん「100%」などといった威勢の良い数字を主張することはたやすいが、我が国の国土条件の下で食料自給率100%を達成することは非現実的であり、国民に生存可能なぎりぎりの食生活を強制するか、あるいはとんでもなく多額の税金を費やして国内生産を非効率なままで増大させるかということになってしまう。
国内における生産・消費さらには輸入も含めた総合的な食料安全保障の考え方に立って、食料自給率の向上に向けた具体的な解決策を提案し実行していくことが重要である。
このような観点から今後展開すべき食料安全保障政策について、現在の農水省の政策に触れつつ、私の持論を展開したい。
まずは、消費者の視点を重視した食料消費に関する施策の充実である。農水省は、安全性確保と品質の改善を図って、消費者の信頼を獲得することを挙げている。食品の衛生管理を高度化し、品質管理を充実させ、さらには食品表示を一層適正化することに努力している。健全な食生活に資する指針の策定も、国民の健康的な食料消費に大いに貢献するものであろう。
しかしながら、今回の国内におけるBSEの発見後の展開は、こういった農水省の努力を消し飛ばしてしまった。国民の食生活の安全が本当に確保されているか、国民との信頼関係を失ってしまったと言って言い過ぎであろうか。
こうした事態を招いたことについて、行政は厳しく断罪される必要があるが、同時に、このような事態を二度と招かないような体制づくりを早急に実行し、国民の信頼を回復していくことが必要である。
政府においては、国民の健康の保護を最優先として食品の安全の確保に取り組むため、「食品安全基本法」を制定するとともに、食品の安全について科学的な評価を行う「食品安全委員会」を新たに設置するなど、矢継ぎ早な対応を行おうとしているところであり、また、昨年来、食品の偽装表示に対する罰則の強化や、無登録農薬の流通・使用に対する規制の抜本的強化など、具体的な制度強化などにも取り組んできている。
以上のような政府の対応は多とすべきであるが、国民の信頼を本当に回復するためには、取り組みのさらなる徹底が必要であり、とりわけ、食品に関する情報の不透明さを徹底的に排していくことが重要である。偽装表示問題の発生についても、制度自体につけいる隙があったということであり、制度の見直しや正義感に由来する内部告発の保護、原産地表示の指導徹底などにより、食品企業が自ら襟を正し、徹底した情報開示を行うような環境づくりを進めるべきである。
二つ目のポイントは、農業の構造改革を通じた産業としての競争力の強化である。我が国の農業の担い手についてみると、農業に片手間的に携わっている農家が農家戸数全体の半分以上を占めており、農業で生計を立てているといえる農家は(主業農家)は2割に過ぎない。全体の産出額に占めるこうした主業農家の生産割合についてみても、野菜や畜産場度では8割を越えるものの、米では1/3と極めて低く、構造改革が著しく遅れている状況にある。こうした現状を踏まえ、産業政策の視点に立って、農業構造改革の加速化を図るべく提言したい。
第一に、しっかりとした経営者感覚を持った生産者が創意工夫を生かして活躍できる環境の整備を進めることである。このために、国、都道府県、市町村等の行政をはじめ、集落を含む地域社会全体が、こうした生産者を地域農業を将来にわたって支える担い手として認め、物心両面でバックアップする体制を作り上げるとともに、これらの担い手が経営規模の拡大や高性能機械・施設の導入などに積極的に取り組めるよう支援を集中すべきと考える。また、このような場合、従来の農業政策では、個別の生産者の機械導入等に対する助成はタブーとされ、3戸以上による共同利用などの条件が付されているが、こうした地域が認める担い手に対しては、制約を撤廃し個別助成を認めても良いのではないか。
第二に、産業としての活力の確保という観点から、他産業から農業への新規参入を促進することである。全国の新規就農者の数は、中・高年層を中心としてではあるが、平成2年の1.6万人を底に平成13年には約8万人まで増えており、我が国経済が停滞する中での受け皿としても、この流れを伸ばしていくことが重要である。このため、農家出身でない希望者も視野に入れて、職業訓練や情報提供、農場リースなど省庁の垣根を越えた施策が不可欠である。
第三に、産業インフラとしての農地や水路などの生産基盤の整備は、我が国の地理条件や、農地の有する国土保全機能を踏まえればやはり重要であり、きちんとした戦略の下で、推進していく必要がある。
農業構造改革にあたっては、農協の役割も無視できない。とりわけ、マーケティングや廉価な生産資材の供給等を通じて、商社などの民間企業に負けないサービスを提供していくことが生産者に応える道であり、農協自体の生き残りにつながっていく。
三つ目のポイントは、食品産業の健全な発展である。最近、コスト面から海外生産食品に目が向きがちな食品産業ではあるが、自給率向上のためには、国内生産農家との結びつきをいかに強化するかが、重要である。消費者ニーズをうまく捉えれば、国内生産品に対する需要を掘り起こすことは可能であるし、国内流通の合理化を推進することによって、コストダウンを図ることもできるはずである。
こうした中で、食品産業と農業の契約栽培といった取り組みも広がっているが、更に進んで、食品産業が、自らの商品開発・販売戦略の一環として、農業法人に出資するなど、原材料の生産段階に参画している事例も見られるところであり、農業の産業としての活力向上の観点からも、こうした他産業分野からの積極的なアプローチについても前向きに捉えることが必要だ。
四つ目は、農産物を安定的に輸入する体制を整備することである。特に、日本資本の海外生産物の輸入は、食糧安全保障との関係で、もっと積極的に位置づけられるべきではないだろうか。もちろん、国内生産者との微妙な関係はあろうが、農協が、そうした役割を担うことで我が国の食糧供給者としての使命を果たすべきではないか。私は、前に踏み出す時を迎えているように思う。
その際、輸入される食品の安全性を確保することは、国民の安全を守る国家としての重大な責務である。昨年には、中国から輸入された冷凍ほうれん草などから基準を遙かに超える残留農薬が検出されるなど、輸入食料への不安が高まっている。
これに対し、食品衛生法が昨年強化され、安全性が疑わしい場合に特定の国や地域の食品を一括して輸入禁止できることとされたが、国民の安全を守るために、この制度を厳格に運用していくべきである。
五つ目は、緊急時における備えである。
まずは、緊急事態に備えた情報収集をしっかりやることである。アメリカ農務省の定期的な需給状況や国連食糧農業機構(FAO)などの国際機関情報に絶えず目を配り、需給逼迫を早めに察知するよう取り組みが求められる。そして、正確な情報を国民に流し、情報不足による誤ったパニックが、本当の食糧不足を招来してしまうような事態を避けることが肝要である。
我が国では、米・小麦・飼料穀物・食品用大豆について、備蓄を行っているが、これらは、たとえば、小麦で2.6ヶ月分、穀物飼料で1ヶ月分、食品用大豆で20日分である。私はこれだけでは心許なく感じている。これらの充実・強化も国民の生命に関わる問題である以上、もっと、政治的に討議されてもよい問題であろう。
最後は、いざというときのために、国際的な取り決めを結ぶことである。これまでも、カナダやオーストラリアなどの主要輸入国との間で、年間取引目標数量の取り決めを中心とする国際約束を締結してきているが、今後とも、このような努力を継続することが重要である。
水産食糧資源の問題も忘れてはならない。最も象徴的なのは捕鯨を巡る問題である。世界の鯨類の資源は回復していることが国際捕鯨委員会(IWC)の科学委員会でも明確に認められており、また、最近では、鯨が世界の漁獲量の3〜5倍の水産資源を捕食しているという研究結果が発表されている。
我が国は、今後の世界の人口の増加を考えると、海洋資源をバランス良くかつ持続的に利用することが重要だという立場から、正当な主張を行っているが、かつて鯨油を取るためだけに乱獲した欧米諸国が、根拠もなく一律に捕鯨を禁止しようとしていることは食料確保の上でも問題であり、我が国は、ねばり強く交渉していかなくてはならない。
食料を巡る国際問題は、今後とも目が離せない。「WTO」「セーフガード」といった文字が新聞紙面に踊る日も少なくない。我々がこういった国際問題にきちっと対応するためには、国内で食糧安保に関する国民的な議論がしっかりとなされることが大切である。 食糧安保を取るか、安い食材を取るか、という選択は、現時点では、どうしても二者択一的なものにならざるを得ない。日本資本による海外生産は、量的には、まだまだだからである。
その際の基本的考え方は、食糧安全保障は、生産者だけの努力によって達成されるものではないということである。生産者・食品産業・消費者が、それぞれやるべき事に取り組まねばならない。
生産者は、まず何よりも、諸外国に比べて割高の生産コストの抜本的な削減に務めなければならない。そして、国内産が消費者のニーズに合うように、いわば、マーケティングを意識した生産に心がける必要がある。高くても、消費されるものはいくらでもあるのである。
食品産業の事業者は、生産者と消費者を結ぶ結節点であり、消費ニーズを的確に把握して、国内生産者との連携を強めていくことが求められよう。生産者のために販路開拓を充実させたり、消費者ニーズを生産者に伝達しながら、国内生産品の需要喚起に貢献が求められる。
また、消費者も、もう少し、日本の置かれた脆弱な食糧供給構造に思いを致し、行動することがあるのではないか。
ここで一つ提案したいのは、国民的議論の参考にするために、たとえば、食料自給率と農産物価格の関係について、一定の試算を行って公表してはどうかということである。たとえば、小麦の自給率50%を目指すとすると、小麦粉1キロが200円から○○円になるとか、食パン一斤が180円から◎◎円に上がる。あるいは大豆の自給率を70%にすると豆腐が一丁120円から▽▽円になるといった、代表的な農産物や食品価格がそれぞれどのくらいアップするかという試算を行うことを通じて、食糧安保や安全・安心の確保のために必要な消費者にとってのコストなども念頭に置いたより合理的な議論を喚起していくのである。
農業政策は農家からの視点も大事だが、食糧安保の視点もこれからは重視して行かねばならない。今、大事なのは、腰を据えた食糧安保の議論ができるように、知的基盤と世論喚起を整備することである。今後、WTOなどで自由化の論議が進んだりセーフガードの是非が論じられるケースが更に増えると思うが、こういった論議に際して、農水省が対応しているということではなくて、国民を巻き込んだ大きな枠組みで議論することが求められている。なぜなら、ことは私たちの食糧に関することだからである。
・国民一人一人の食糧安保
また、伝統的な食事の意義を見直し、食生活を改善していくことも食糧自給率の向上に深いつながりがある。たとえば、ファーストフードと和食を比較すると、「ハンバーガー+ポテト+コーラ」は809キロカロリーで、材料の国内自給率は19%であるのに対し、「ごはん+焼き魚+有明のり+ワカメのみそ汁」という典型的な朝食メニューの場合、熱量は590キロカロリーで、脂質の割合も少なくヘルシーな上に、自給率は86%と高い。
伝統的な食生活の見直しは、今や世界的な動きとなっており、北イタリアのブラという町から始まった「スローフード運動」は日本を含む各国に広がりつつある。伝統的な食生活や地域の農産物を大切にしていくことが、健康や、食糧安保に連なっているということも大事な視点だ。
我々一人一人が実行できる食糧安保もある。それは食べ残しをしないということである。
我が国においては、消費段階で、かなりのロスが生じているといわれている。各世帯であたりで見ても、食べ残し・廃棄等のロスは、7〜8%出ていると言われているし、外食産業や、総菜などから生じるロスもかなりのもので、これらをきちっと無駄なくすることで、我が国の食糧自給率は間違いなく向上する。これこそ、国民一人一人が実行すべき、食糧対策ではないだろうか。
・21世紀のフロンティア産業としての農業
本稿において、私は、農業や食糧の問題が重要な政策課題であるにもかかわらず一般国民とのコミュニケーションが不足していることを指摘した上で、我が国の農業・食料をめぐる客観的な状況を示しつつ、今後あるべき農業・食料政策の姿を明らかにしてきたところである。
なぜ、農業や食糧の問題が重要であるのか。もちろんその最も大きな理由は、それが現在の国民そして将来の世代の安心と健康の維持や社会全体の安定に関わるからである。さらにいえば、いざという時に食料を安定的に国民に供給できるかどうかは、国力の最も重要な要素の一つであるとともに、食料の大輸入国である我が国が農地や水などの国内の資源を有効に活用していくことは世界の食料需給の安定にも貢献するということも忘れてはならない。
ただ私としては、ともすれば高齢化が進むといったイメージから、日本の将来像について閉塞感や悲観的な見方が先行しがちな中で、農業が21世紀の我が国社会における有力なフロンティアとなっていく可能性を強く有する産業であることを、最後に強調しておきたい。
その芽は既に現れつつある。先に述べたように、雇用情勢の変化や自然志向・田舎暮らし志向の高まり等を背景に、これまでの仕事を辞めて新たに農業を始めようという動きは確実に大きな流れとなりつつあり、定年退職後に生きがいを求めて農作業に従事する場合や市民農園で「休日農業」を楽しむ場合も含め、多様な形で農業に関わる人が増加している。
他方、地域の農家の高齢者等が中心となって取り組みが始まった地域特産野菜や加工食品の直売活動が拡大し、「そこに行かないと食べられない」新しい名産品が生まれたり、地域経済の活性化や「つくる喜び」や「売る喜び」を知ることを通じた生きがいの創出につながっているといった事例も各地で見られるようになってきている 例えば、私の地元の岐阜県加子母村では、バイパス沿いにテントを張っただけの直売所が口コミで好評を博し、野菜や草餅の売上げが年間1億円を超すに至っている所もある。
「人は消費するために働く」という考え方がある。消費の楽しみを味わうために人間はつらい労働に耐えるという訳だが、果たしてそうであろうか。働くこと自体に喜びと誇りを見つけているからこそ、「生きがい」として農作業や直売活動に取り組んでおられる人たちは生き生きとされているのではないか。
働くことと健康の相関関係も指摘されている。例えば、高齢者の就業率が全国1位である長野県(農家数も全国一で、多くの高齢者がりんご、ぶどう、高原野菜などの農作業に従事)は、長寿県(平均寿命で男性全国1位、女性全国3位)である一方で、一人当たりの老人医療費が全国で最も低くなっている(全国平均よりも2割以上低い)。
また、これからの社会を担っていくより若い世代も、自然の厳しさと恵みを実感しつつ、農作業と農業経営という頭と体の両方をフルに回転させることが必要な農業という仕事に魅力を感じるようになっていくのではないか。「ものつくり」に喜びを見いだす日本人の本能は失われていないはずだ。
農業の再生には、我が国社会の再生につながる希望が間違いなくあると私は考える。
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