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政策提言
日本再生の視座
vol.1/ 改革の指標としての国家の原点
vol.2/ 国家戦略に基づいた公共事業改革
vol.3/ 国民のための農業食糧政策

vol.4/ 戦後経済の検証と今後
はじめに
踊り場に立つ日本経済
三つの病の併発
戦後の成長を支えた幸運な環境
失われる好条件
そして、「失われた10年」へ
私の処方箋
当面の経済運営は、デフレ対策重視で
腹の据わった中長期的な構造改革
決め手は、国民の意識改革

vol.5/ 我が国経済の原点と新潮流
vol.6/ 少子高齢化社会「日本」のとるべき戦略
vol.7/ 未来を拓く教育改革


・はじめに
 今ほど、日本の経済政策が微妙な舵取りを必要とされているときはない。いくつのも病気を併発し、微妙な薬の配合が必要な患者に似ている。
 この病を克服するために大切なことは、まず、戦後日本経済がどのような発展をたどり、今どういう状況にあるかをきちんと把握することである。患者の病状の正確な把握なくして、正しい処方箋はありえない。その上で、我々が有するすべての政策資源を動員することはもちろんのこと、副作用にもきちんと配慮した対策を立てなくてはならない。
 しかも、病状の進展に応じて、巧妙にタイミングを計りながら治療の力点をシフトさせていくような繊細さが必要である。これを間違えると、政策効果は相互に相殺され、借金だけが残るという事態にもなりかねない。
 私が最近懸念を禁じえないのは、「改革なくして成長なし」や、「民にできることは民に」など、単純化したキャッチフレーズが、事態を直視する目を曇らし、対応を誤らせてしまうのではないかという点である。
 本小論では、現在のわが国経済をめぐる複雑な現象を、あえて単純化することなく見据えた上で、複合的な処方箋を探ってみたいと思っている。今、我々に必要なのは、事態の正確な認識であり、キャッチフレーズではない、と思うからである。


・踊り場に立つ日本経済
 日本経済の不調ぶりは、ついに10年を超えた。1990年代を、失われた10年と評する向きがあるが、これは、経済について最もよく当てはまる。
 戦後の日本の名目経済成長を振り返ってみると、1950年代の急回復は言うに及ばず、60年代は、約16%、70年代は、約13%と、まさに、奇跡の復興・高度成長であった。しかしながら、80年代は、約6%と踊り場に立ち、92年度以降の10年間は、95年、96年には、2〜3%成長を遂げたものの、総じて低迷している。
 みずみずしい成長力を誇っていた日本経済も、人間の年で言えば、50歳台に入ったということであろうか。若い頃には効いていた無理も、効かなくなってきている。年齢に応じた体質改善と生活態度の変更をしなければ、健康体は維持できない。
 今言われる経済構造改革という言葉も、私は、わかりやすく言えば、日本経済の成長段階に応じて体質改善を図ることに他ならない、と思っている。
 日本の高度成長を支えた重要な諸要因が失われてきている。また、人間もそうだが、成功体験が逆に悪い方に作用するという弊害も出てきている。
 日本経済が、失われた10年を回復し、新たな発展基盤を築くためには、何が必要か。
 この問に答える前に、まず、現在わが国経済が置かれている状況を押さえることとしたい。


・三つの病の併発
  私は、今の日本が置かれた経済状況は、短期的な不況と、バブル崩壊という中期的な要因と、そして、これまでの日本経済を有利に導いてきた様々な幸運な条件が失われるといった長期的な要因とが、一度に重なったという深刻、かつ複雑な状況だと思っている。つまり、三つの病が併発している戦後初めての事態と認識している。その中で、特に、長期的要因が、構造問題という言われ方をし、戦後50数年の決算として、その改革が叫ばれている訳である。
 従って、わが国経済をどうするかという処方箋も、この短期、中期、長期に応じたものが必要であり、景気を取るか、構造改革を取るかといった単純な二者択一の問題ではないのである。


・戦後の成長を支えた幸運な環境
 終戦直後から1980年代にかけて、わが国経済に有利に働いた条件のうち、真っ先に挙げられるのは、高齢者が少なく若い世代が多いというピラミッド型人口構成であろう。
 わが国の全人口に占める65歳以上の人口は、50〜80年代を通じて5〜10%程度に抑えられており、先進国中最低の水準であった。若い人間が多いということは、平均賃金を低く抑えることができるということであり、このことがわが国産業の競争力に直結したことは、容易に理解できる。
 さらに加えて、日本型といわれる終身雇用・年功序列賃金の雇用慣行によって、若いときには自分の稼ぎ以下の賃金しかもらえなくとも、中高年になるとその分を取り戻せるということで、仕事に対する従業員の長期的な努力、自分の企業に対する無限の愛着を引き出すことに成功していたのである。
  第二に挙げられる有利な点は、この間の大多数の日本人に、いわゆる中産階級意識・横並び意識が根付いていたことである。
 画一的な教育、年功序列的な企業社会、どちらかというと金持ち冷遇の税制制度、シェアの変わらない国家予算などが、本来集団的志向の強い日本人社会に、現状維持的傾向を強めさせた。経済のパイが拡大し、国民生活が豊かになるにつれ、これらの現状維持的ムードは、中産階級意識となって現れ、国民の九割が自分を中産階級と意識するという、世界でも稀な社会となった。
 当然のことながら、この中産階級意識の定着は、政治の安定、政策の安定をもたらし、同時に、大量生産方式による日本経済の飛躍を可能としたのである。
 また、秩序優先の社会構造、精神構造が右肩上がりの経済成長に対して有利に働いた点も見逃せない。金融、電力、石油、運輸、通信などの分野においては、業種別の「業法」と呼ばれる法律が業界秩序を規定し、政府の規制が、事業者の倒産リスクを軽減するのに役立ってきた。また、規制業種でなくても、株式の持ち合い、官公需を中心とする調達システムによって、程度の差はあろうが、誰しもが、シェア不変、価格横並びの経済を享受することが出来た点は否定できない。
 そして、このような横並び的経済が長いこと崩れずに継続できたのは、基本的に円安が長期間続いたことにあり、これによって、わが国は十分な資本の蓄積をし、次なる発展に備えることができた。ご承知のように、この円安構造が本格的に崩れたのは、1985年のプラザ合意であり、それまで、わが国の為替レートは、概ね1ドル250円〜300円の水準で推移していたのである。
  第三に挙げられる有利な要因は、海外から導入した技術に改良を加えて製品化するという、リスクの少ない技術進歩が可能であった点である。これは、日本が追いつき追い越せの後発段階にあったためであるが、この時期の日本人技術者の方々の努力は、やはり世界に誇れるものであった。
 また、そもそもアメリカで生み出されたQC活動というものが日本において高度に発展した例を見れば、経営テクニックにおいても、日本のパフォーマンスは特筆すべきものであったと言えよう。
 さらに、国際環境についていえば、東西の冷戦構造と日米安保体制のもとで、国防についてさほど気にせずに経済成長に専念できたことも大きい。冷戦によって、日本は米国を同盟国として選択する以外はなかったわけであるが、アメリカ自身も、アメリカの軍事力の下で日本が経済成長を遂げることによって、その共産化を防止するという点にメリットを感じていたのである。言わば、アメリカのお墨付きの下で、経済成長に力を注ぐことができたのである。
 第四は、系列を背景とするメインバンク制が、企業の安定的・効率的な資金調達を可能にしたことである。
 企業による株式の持ち合いは、わが国産業界の大きな特徴であるが、これは、そもそも、外資自由化によって外資が入ってくることを防御するための安定株主対策として進行したものであった。旧財閥を中心とする系列グループが強化され、メインバンクを核に株式の持ち合いが猛烈な勢いで進んだのである。
 その結果、1949年当時は、個人株主7割、金融機関1割の株式保有比率であったものが、近年では、上場株式の65%(直近では55%)が法人所有、なかんずく、40%(直近では30%)が金融機関の保有となっている。
 こうしたメインバンクを中心とする資金調達システムによって、銀行は企業情報を安く容易に手に入れることができたし、また、企業から見れば、資金調達コストを低く抑え、かつ、短期的な株主への分配に煩わされることなく長期的な投資戦略の実行が可能になったのである。
 また、土地神話に支えられた含み益経済が可能であったという点も、日本経済にとっての幸運であった。
 土地の含み益を、80年代を通じて眺めてみれば、およそ簿価の3倍であった。わが国企業の含み益は、戦後の資産再評価が不徹底で、なおかつ、戦後の経済成長の過程で生じた時価と簿価の乖離を企業会計原則が十分な調整をしてこなかった結果生じたものであるが、いずれにせよ、わが国企業の資金繰りを楽にしてきた面は、いくら強調しても強調しすぎることはない。
 こういった諸要因によって、戦後日本経済は、奇跡の経済復興から驚異の高度成長へと飛躍を遂げた。80年代には、もはやアメリカから学ぶものはないという驕った議論も散見されるようになり、一方のアメリカでも、日本は第二次世界大戦の復讐を経済戦争で実行しているという論調も見られるようになった。
 ところが、90年代に入ると、これらの有利な条件は一気に変化した。あるいは、見えないところで進行していた変化が表面に現れ出たということかもしれないが。



・失われる好条件
まず、第一に、現在の日本は、歴史上類を見ないテンポでの高齢化に直面しつつある。
 16歳から65歳までの、いわゆる労働人口は、1995年に既に頂点を越え、総人口さえも、2006年ごろには減少に転じると予想されている。65歳以上の人口比も、90年には、まだ12%で先進国中最低水準であったが、現時点では17%、2020年には25%を越えると見込まれる。
 これらのことは、経済成長にとってマイナスに働くだけでなく、戦後日本の競争力の重要な要因であった終身雇用・年功序列に代表される企業システムが破綻しつつあることを意味する。
 企業にとっては、年功よりも実際の生産性に見合った報酬や賃金体制を求めてゆくしか道は無く、これは、世代間の公平性の問題も絡んで、大変厄介な問題になっていかざるをえない。
 日本の年齢構成を特徴付けるのは、いわゆる団塊の世代である。彼らは、正確に言えば、昭和22年から24年に生を受けた世代であるが、昭和25年生まれまでを含めると、1,040万人の大行進となる。今、この団塊の世代は、丁度50歳台の前半で、日本社会の主力部隊としてあらゆる分野で大いに活躍しているが、あと10経つと間違いなく、彼らは60歳台前半に回り込む。それは、この世代が、稼ぎ頭から使う側へとその立場を劇的に変えることを意味するのである。
  二つ目は、国際経済環境の変化である。戦後日本経済を助けてきた円安要因も、消えてから10数年経つ。円ドルレートは、変動相場制に移行した1973年以降も、70年代から80年代前半を通じて、概ね1ドル250〜300円を維持していたが、85年のプラザ合意により、わずか1〜2年のうちに、1ドル240円から1ドル120円台に急騰した。
 当時、あまりの急激さゆえに、この過程は、急激な円高と捉えられたが、購買力平価から言えば、むしろ、円安の是正過程と捉えるべきである。
 90年代に入ると本格的な円高時代が到来した。これによって、人件費、土地保有コストなどが高コストである構造がはっきりし、わが国の製造業の競争力は急速に失われ、海外投資、海外生産が本格化することになる。中国の製造業の競争力の飛躍的向上と考え合わせると、わが国製造業は試練のときを迎えている。
 また、世界の資金を活用しようと思えば、世界に通用する企業財務をもつことが厳しく求められるようになってきている。「グローバリゼーション」という言葉の本質的な意味は、この点にある。
 ベルリンの壁の崩壊、ソ連の消滅という歴史的出来事の結果、かつて東側と呼ばれた国々が資本主義経済になだれ込み、資本主義国同士の熾烈な競争の時代が始まっている。世界の資金は、1円でも収益の多い投資機会を求めてドライに世界を駆け巡る。そして、その資金がどこに流れ込むのかを決めるのは、結局、格付け機関であり、彼らの評価の前提となるのが、企業財務である。
 つまり、企業財務を透明にし国際水準を満たしたものにすることが、わが国企業に豊富な海外資金を呼び込むためには不可欠となっているのである。
 長い間、メインバンク制と担保主義による間接金融に慣れ親しんできたわが国企業が、どちらかと言えば、「利益よりもシェア」、「構造改革よりも当座の決算対策」、「外部評価の排除と総会屋対策」に追われてきた面は否定できない。そして、気が付いてみれば、投資不適格格付けとなっていたなんていうこともあり得ない話ではない。しかも、わが国企業の英訳財務諸表においては、国際的標準とは異なるものという警句が注記されている。国際的に信用すらされていないというのは、実に悲しむべきことである。
 三つ目の変化は、流通革命・価格破壊の進行である。言い換えれば、デフレの進行である。
 わが国では、90年代に入って、それまで主流であった商品の系列販売が完全に崩壊し、安売店と中古品市場を中心とする流通革命と言えるような大変化に見舞われた。例えば、それまでメーカー希望小売価格などと言って、商品の価格決定権はメーカー側にあったが、価格支配権は徐々に小売側、流通側に移行していった。このことは、事実上の原価主義を何とか維持してきたメーカーにとって大変な時代の到来を意味している。
 この背景には、安価な海外製品の流入やIT革命などを通じた経営革新も指摘されよう。
 いずれにしても、この結果、売上点数は増えても売上高は下がるという状況が続き、マクロ経済的に見ても、数字上、消費の不振と名目GDPの押し下げとなって現れたのである。今、物価下落により、名目GDPの方が実質GDPよりも小さいという逆転現象が起こっているが、このような現象は、60年代、70年代、80年代を通じて一度も起こらなかった。しかしながら、94年度から96年度は、3年連続してこの逆転現象が起こった。そして、98年度以降も、この逆転現象は続いているのである。
  四つ目は、規制緩和の時代に突入したということである。アメリカのレーガン政権やイギリスのサッチャー政権のように、規制緩和による競争の促進によって経済活性化を図る時代をわが国も迎えている。実際、わが国でも、固定式の電話機や携帯電話の自由化等により、10年前の携帯電話加入者数213万人から、2002年度末には7,560万人へと36倍に伸張した。また、通信事業規制の緩和によって通信コストが安くなり、その低減効果は、2000年度までの累積で4兆6,000億円と試算される。
 このような規制緩和が、競争による安上がりの経済活性化策として、今後ともわが国の経済政策の一角を占めてゆくのは自然の流れであろう。投資効率が良くなり消費者にもメリットがきちっと還元されれば、その効果は測り知れないものがある。日本も過度な規制が民間企業の様々なチャンスを縛ってきた現状から脱皮し、かつてのアメリカやイギリスのように、規制緩和によって経済再生のきっかけを築く努力が必要であろう。
 しかしながら一方で、規制緩和は、競争による弱者の発生やデフレ効果といった副作用を持つのも事実である。政治は、まさにこういう点にも目配りをするものでなければならない。規制緩和という方向感を押さえながらも、その結果発生する弱者に対してもセイフティ・ネットをきちんと用意する。経済政策は、この適切なバランスを見失ってはならない。
 特に今後は、これまで、競争にさらされることが少なかった非製造業の規制緩和が重要課題となろう。例えば、建設、金融、電力、通信、医療福祉などは、国民的見地から、競争による効率化が求められる分野である。


・そして、「失われた10年」へ
 わが国を襲った構造変化は、このようなものであった。そして同時に、バブルの崩壊が起こった。もちろん、以上述べてきたような四つの変化は、バブルの崩壊とは直接関係はないが、これらが同時並行的に起こったことが、90年代のわが国の経済不振を一層深刻にした面は大きい。しかも、重なり合う複雑な現象が、問題の本質を覆い隠し、政策の舵取りを難しくして後手に回った点は、大いに反省すべき点である。
 80年代の後半、適当な内需の投資先が見つからない中、企業・国民を挙げて、土地や株への投資に狂奔することになった。本来、円高と規制緩和・自由化の流れの中で、地代や人件費といった資源コストは安くなるはずであったにもかかわらず、逆に、資産インフレ、バブルを発生させるに至ったのである。そして、バブルが去り、急騰したものが急落するという激しい変化が残した負の傷跡は、極めて大きい。
 例えば、土地の資産総額である。1990年がピークで2,300兆円に上ったが、2001年末には、1,456兆円にまで下落した。しかも、下落傾向は止まっていない。
 また、東証株価の時価総額も、1989年に600兆円のピークをつけたが、98年には250兆円にまで下落し、現在は280兆円と低迷が続いている。
 バブルの負の遺産は、よく言われているように、過剰債務、過剰設備、過剰雇用という三つの過剰の形で、企業経営に重くのしかかってきている。この重石のため、企業は、利益があがってもそれを債務の返済に充ててしまい、新投資などへのチャレンジする精神が萎えてきている。
 雇用者はと言えば、リストラに怯える40歳代、50歳代は、将来不安が高じて消費を萎縮させており、なけなしの資産をこれ以上減らせるかとの心理状況に陥っている。
 この結果、ゼロ金利という異常な超低金利状況にあるにもかかわらず、1,400兆円とも言われる個人資産は、株などのリスクのある資産には、なかなか向かってこない。
 1990年代の日本経済を概観すれば、高コスト構造の変革という構造改革の課題と、景気対策という短期的課題の同時解決を迫られていたと総括することが出来る。言い換えれば、構造改革というデフレ政策を求める流れと、景気対策というデフレからの脱却を求める流れとが混在した複雑な状況の中に、我々は足を突っ込んでいたのである。下手な政策パッケージを採用すると、温シップしながら患部を冷やすというようなことにもなりかねない。名医による微妙な経済調整が求められたわけである。


・私の処方箋
 以上、簡単に90年代の経済環境を振り返ったが、結果的に多くの難題を新世紀に持ち越すことになった。
 ただ、私は、幕末の国難に立ち向かい見事な対応を示した日本人、終戦の瓦礫の中から瞬く間に立ち直った日本人の底力というものを信じている。21世紀当初に我々が抱える経済的課題は大変な重さであることはまぎれもない事実である。しかしながら、きちっと問題を整理し、前向きの方向感を持つことさえ出来れば、我々は再び力強く前進することができるはずである。
 冒頭でも述べたように、今大事なのは、総合的な観点からの経済政策の展開である。構造改革と当面のデフレ対策が互いに効果を相殺しない微妙な政策展開が求められる。日本が窒息しないようにしながら、厳しい構造改革を成し遂げてゆかねばならないのである。
 また、見失ってはならない最も重要な点は、「いかに政府がマクロ経済上好ましい環境を作りえたとしても、個々の企業が世界相手の競争に勝ち抜けるだけの力を持っていなければ話にならない。」ということである。産業の競争力、企業の国際競争力といった言葉が、従来にもまして重みを持ってきている。
 結局、整理すると、当面のデフレ対策、中長期的な構造改革、そして、国民の意識改革といった三段階で、相互の関係を考慮した政策展開が必要になるということである。


・当面の経済運営は、デフレ対策重視で
デフレと言っても、わが国は、地価や株価といった「資産デフレ」と、途上国やかつての東欧諸国のような新興資本主義国から廉価な製品が殺到するという事態に代表されるような、「競争デフレ」という、二通りのデフレに直面している。私は、デフレを放置したまま、構造改革を半ば強制的に推進するのは、副作用のほうが大きいと考えている。いい例が不良債権の処理である。デフレ下で不良債権の処理を大胆に推進すればするほど、デフレ圧力が強まり、不良債権をかえって増大させるという結果をもたらしてしまう。
 このような悪循環に陥らないようにするためには、まず、デフレ対策に軸足をおいた政策を展開するしかない。そして、デフレに一息感が出てくれば、経済状況を見ながら、構造改革のアクセルを徐々に踏み込んでゆくのである。
 当面の具体策としては、日銀と政府の協調によって潤沢な資金を供給しながら、土地や株式の流動性を高めるあらゆる措置を総動員するというのが基本的考え方である。
 ただ、よく主張されるように、公共事業でも何でもいいから財政出動さえすればいいというのは、短絡的である。
 今、国民は、政府の財政赤字がどうなるのかという点について、漠然とだが深刻な危機感を持っている。単に財政出動さえすればいいというのでは、かえって、国民の将来不安を招き、消費や投資の萎縮につながるということにもなりかねない。私は、このようなことにならないために、次の二つの方法を提案したい。
 第一は、財政出動を伴う対策は、あくまでも日本経済や産業の中長期的発展基盤に直結するものに限って、思い切って講じることである。社会資本整備も重要であるが、むしろ産業や企業の国際競争力に直結するような投資や研究開発を思い切って支援するのが望ましい。社会資本整備については、日本の産業の国際競争力に結びつく分野に重点を置いた方がよいと考えている。
研究開発投資等、将来へ向けた産業投資という面は見直しすべき点が多い。韓国の電機メーカー・サムスンのように、韓国や中国では、1,000億円以上の投資を平然とやってのける企業が出てきている。このままでは、IT産業をはじめとして日本の製造業が窮地に陥ってゆく可能性は否定できない。日本の産業が次世代ものの新規投資に思い切って対応ができるように、減税などの手法で財政出動してゆかねば、投資できなかった日本の企業が、ジリ貧に陥ってゆくことは避けられない。それは、日本の雇用に直結する問題でもある。
 社会資本整備という点では、すでに公表した「国家戦略に基づいた公共事業改革」でも言及したが、私の地元がある中部地域は面白い。あまり我田引水になってもいけないが、わかりやすい例なので多少触れたい。
 今、日本は、年々国際競争力が低下し、2002年の国際競争力ランキングでは第30位と低迷している。これに対し、スイスは第7位と健闘している。また、成長著しい中国は第31位と日本を追い抜く勢いである。
 実は、中部地域(東海四県+長野県)とスイスは、面積も経済規模も同等であり、本来スイスでやり遂げられることが中部地域でできないはずはない。それができないのはなぜか。また中国や韓国など東アジア諸国が高い経済成長を続けているのはなぜか。
 それは、中長期的に経済を活性化し、民間の投資や消費を引き出す生産性の高い公共投資を集中的・戦略的に展開しているからに他ならない。スイスは日本と同様、自然資源に乏しく観光や精密機械などの高付加価値製造業が主産業であり、国際社会の中で競争力を維持するためには、技術力とともにコスト競争力向上が不可欠な国だ。そのため、国際空港や高速道路ネットワークの整備を進め、流通コストの低減に必死に取り組んでいるのである。また、そのような取り組みがあったからこそ、国内での効率的な食料供給が可能となり、山岳国家でありながら食料自給率60%(日本は約40%)を維持することも可能となっている。また中国では、この20年間で高速道路網をゼロから2万キロに、驚くべき早さで拡大させた。シンガポール、韓国、台湾でも、大型コンテナ船対応の港湾、国際線対応の滑走路整備等が早急に進められている。
 我が国の公共事業は、これまで「薄く」、「広く」行われてきた。また省庁間の縦割りもあり、産業・経済政策とインフラ政策が必ずしも十分にリンクしてこなかった面がある。この点は、重ね重ね残念でならない。今こそ、その体質を排し、産業・経済競争力を高めるという目標に沿って、地域や個別インフラを厳格に選択のうえ、それぞれ効果的な投資を行うべきだろう。
 中部地域は世界でもトップレベルの技術を持った企。他の国々でも日本の高付加価値農産物が、それぞれの高所得層に浸透してゆくことも決して夢物語ではない。業群が集積する「製造業」のスーパーエリアであると同時に、高冷地野菜や果物をはじめ付加価値の高い食料生産地域でもある。2005年に開港予定の中部国際空港、日本一の貿易額を誇る名古屋港の拡充、第二東名・名神、東海北陸自動車道、東海環状道路等の戦略的公共事業が実を結べば、地域的には勿論、国全体にとっても、産業・経済の再生、食糧自給率の向上等に寄与することは間違いない。モノやヒトが動きやすくなればコストは下がり、また道路や空港・港湾を通じて他の地方や海外につながる活力ある市場空間が形成されることにより、あらゆる産業における多様な波及効果が期待される。国際競争力がないといわれる日本の農業だが、たとえば台湾では日本の梨や山芋などが高級品として受け入れられている
 二つ目は、デフレ対策と同時に、財政再建の道筋についてもビジョンを示すことである。日本社会が本格的な高齢化社会を迎える2010年代初頭までの財政再建の道筋の選択肢を作り、国民が自ら選択するような真摯な対応がなければ、せっかくのデフレ対策も、国民の将来不安の中で、効果が期待できないものになってしまうからである。

・腹の据わった中長期的な構造改革
中長期的な構造改革については、私としては、次の二つの基本的方向で考えることが大事だと思っている。
 つまり、第一は、これまで右肩上がりを前提としてきたわが国のあらゆる経済制度・システムを、体質改善することである。たとえば、医療や年金などの社会保障制度も、現在の制度は、ピラミッド型の人口構成を前提にしたものであり、これを高齢社会型に改善してゆくことは喫緊の課題である。また、税制をはじめとした財政構造改革、国と地方の役割の再編など、これらについては、まさにこれから本格的な取り組みが始まる。
 大事なことは、痛みは避けられないにしても、行き過ぎた不安を国民に与えて、デフレ圧力を不必要に高めないように、細心の注意を払うことである。そのためには、団塊の世代が60歳以上になり本格的な高齢化社会を迎える2010年代前半までの間に、これら諸問題がどうなるかのロードマップを示しながら改革を推進することが求められよう。
 二つ目は、産業の国際競争力の再強化に力点を置くことである。結局、わが国は、資源もエネルギーも食糧も自力ではまかなえない国であり、強い競争力を持った輸出で稼げる産業を、何とか一定規模以上保有し続けるしか生きる道はない。
 中国や韓国など、競争力のある国々が近隣に勃興してきている。日本は、1955年のガット加盟、64年の東京オリンピック、70年の大阪万博といったスプリングボードを経て、高度成長を遂げてきたが、今また中国が、2002年のWTO(ガットの後続機関)加盟、2008年の北京オリンピック、2010年の上海万博といった沸き立つ熱気の時代を迎えている。しかも、日本が通ってきた道を圧縮する形で。おそらく10年後には、日本の稼ぎ頭の製造業は、中国などの製造業とのより厳しい競争関係に入り込んでゆくこととなろう。
 しかしながら一方で、中国等の競争相手をライバルとして見るだけでなく、巨大な潜在市場として活用する視点も大事である。たとえば、鉄鋼や重化学工業をはじめとする日本の様々な資本財は、躍進する近隣諸国にとっても魅力的なものである。日本の強い所と近隣諸国の強い所を組み合わせながら新たな飛躍をする、そういう柔軟な発想が求められる。
 いずれにしても、何よりも大切なことは、いかに日本の製造業の競争力を維持するか、この原点に立ち戻ることである。
 そのためには、まず、産業再生である。将来的に日本経済・産業を支える重要な事業であっても、銀行の不良債権問題の中で呻吟しているものは多い。産業再生機構の積極的な活用も含めて、一刻も早く不良債権のくびきから日本の産業を救い出すことが大事である。
 その上で、次の次代を担う産業の育成のために、技術開発やベンチャーの振興などに従来以上の政策努力を行う必要があると思っている。


・決め手は、国民の意識改革
最後に、国民の意識改革であるが、私は、「日本経済が再生するかどうかは、2010年代初頭までに決まるという時代認識が持てるかどうかが、最大の鍵である。」と思っている。これまで述べてきた政策や制度も、結局、国民一人一人の取り組みが伴わねば効果がない。また、低成長下での改革には、当然痛みが伴う。これを乗り越えて進んでゆくためには、国民にもそれなりの覚悟が必要である。政府と国民が一体となって取り組む、そういう時代の機運を作り出すことが、今の政治家には求められており、実は、それが一番大切なことではないだろうか。なぜなら、実際の改革の担い手は、我々一人一人だからである。