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政策提言
日本再生の視座
vol.1/ 改革の指標としての国家の原点
vol.2/ 国家戦略に基づいた公共事業改革
vol.3/ 国民のための農業食糧政策
vol.4/ 戦後経済の検証と今後

vol.5/ 我が国経済の原点と新潮流
はじめに
第一節
ものづくり産業こそ 日本経済発展の原点
ものづくり産業の位置づけ
試練に曝されるものづくり産業
金の卵を産む鳥を死なせないために
チャンスが広がるものづくり中小企業
第二節
新たな潮流を飛躍台に
IT時代の到来
新しい豊かさの追求

vol.6/ 少子高齢化社会「日本」のとるべき戦略
vol.7/ 未来を拓く教育改革


・はじめに
  経済政策は、様々な考慮要因が複雑に絡まりあい、単純に割り切った決定を下すことは難しい。多くの方程式を解かねばならず、誰が考えても答えは一つというわけにはいかない。
 前編「戦後日本経済の検証と今後」では、今われわれが直面している経済的な困難を、あえて単純化することなく、複雑なまま直視した。つまり、現下の経済的状況は、景気循環的な困難と、バブル崩壊という中期的な困難と、戦後経済システムの構造改革という長期的な困難という三つの困難が時期的に一致したことによってもたらされているのであり、当然、その処方箋も、この三つの要因にきちっと答えるものでなければならない。
 最近の新聞紙上では、不良債権問題をはじめとして金融セクターの記事が踊っているが、本編では、むしろ、私が本当に大事だと思っている課題をピックアップして取り上げることとしたい。それは、一言で言えば、日本のような国にとっては、ものづくり産業が生命線だということである。
 わが国は、資源も食糧もエネルギーも海外に大半を頼っている。これらのものを輸入しなくては1億2,300万人の国民は生きていけない。そして、これらを輸入するためには、輸出によって外貨を稼がねばならない。国際競争力のある製造業のような産業を国内に持ち、良好な通商環境を地道に作り上げることによってはじめて生存できる国なのである。その原点に立った場合に、今の日本の製造業の実態はいかがなものか。そして、われわれは何をなさねばならないのか。本編の前半では、そういった点について持論を展開したい。
 後半では、将来へ向かっての新しい潮流について、二つほど言及したい。今われわれが抱えている様々な困難を明るい方向に転じてゆく可能性が出てきている。困難とチャンスはいつも一緒に来る。私は、タイミングよく新しい動きをつかまえ、着実に努力を積み重ねてゆけば、日本経済は必ず良くなる、そう確信している。


■第一節 ものづくり産業こそ 日本経済発展の原点

・ものづくり産業の位置づけ
  まずはじめに、ものづくり産業が日本経済においてどのような位置を占めているのか客観的に見てみたい。
 およそ製造業が生み出す付加価値額は、対GDP比で約21%に及ぶ。さらに、他産業への波及分を加えると約32%となる。これは、わが国が毎年毎年生み出す価値の1/3に相当する。
 着目すべき製造業の特徴は、このように他産業への波及効果が大きいことである。今見たように、製造業の波及効果は、約1.5倍であるが、一般にサービス業では、1.01倍である。つまり、製造業が発展すると他の産業も発展するというわけだ。
 また、雇用面での貢献も大きい。昨年(2002年)のデータでは、国内の就業者約6,300万人のうち、製造業従事者は1,200万人(約20%)を占めており、サービス業(約3,900万人)に次ぐ位置を占めている。
 私がとりわけ注目したいのは、その外貨獲得力である。我が国の輸出の90%以上は工業製品がもたらしている。2002年度国際収支でみれば、約12兆円の黒字である。つまり、日本が必要としている資源・食料・エネルギーは製造業の輸出競争力によって獲得されている。
 サービス経済化がこれからの日本経済の活力のキーだとよく言われる。私もサービス業の雇用吸収力は確かに期待できるとは思う。だが、外貨獲得力はどうか。昨年のデータでは、サービス収支は約5兆円の赤字であり、外貨が獲得力できないばかりではなく、大幅な持ち出しとなっている。つまり、国際競争力がないのである。日本のような成り立ちの国が、しかも、サービス業の国際競争力が心もとない状況の下で、サービス経済化を過度に褒め称えることはできない。やはり、競争力ある製造業で勝負をしてゆくしかない。国際収支のデータはそのことを如実に物語っている。  


・試練に曝されるものづくり産業
 問題は、そのものづくり産業がかつてない大きな試練に曝されていることである。製造業の名目出荷額はピーク時の1991年から10年間で約15%減少した。その影響は、雇用面にも如実な数字となって現れる。この10年間で製造業就業者は約350万人(22%)も減少した。これは、現在の完全失業者数にほぼ匹敵する数字である。特定の業種に目を向けると、例えば、鉄鋼業(大手6社)の売上高はこの10年で35%、就業者数は実に51%減少している。
 当然のことながら、こうした経営状況は、将来に向けた投資という面にも影響を及ぼす。製造業における設備投資額は、需要低迷と設備過剰を背景として、ピークの1991年に比べ、約50%の水準まで落ち込んでいる。国内製造業の設備投資の歴史を振り返れば、80年代まではキャッシュフローにほぼ見合う投資が行われ、バブル期にはキャッシュフローを上回る投資へと過熱、バブル崩壊後はその反動で、キャッシュフローを大きく下回る投資に縮小するという傾向が見て取れる。
 言い換えれば、この10年間は、企業は営業収益が出てもこれを設備投資には回さず、その多くを借入金の返済に充当しているわけである。バブルの時代に拡大に走った後始末として、強靭な財務体質を作り上げようという経営サイドの意図があるのであろうが、その結果、製造業の平均的設備年齢も徐々に上昇し、現在は12年となっている。この数字は、米国の約8年を4年ほど上回っており、その差は更に拡大する傾向にある。通常、設備年齢の上昇(いわば、設備の高齢化)は生産性の相対的低下を招く。財務体質の改善は、わが国製造業にとって両刃の剣となっている。
 こう見てくると、総じて、日本の「ものづくり産業」に関するデータは暗い。だが、「ものづくり産業」のわが国における位置づけを考えると、この状況は看過できない。


・金の卵を産む鳥を死なせないために
  製造業の国際競争力を見る場合、私は、「コスト競争力」と「質に関する競争力」に分けて考えるべきだと思っている。
 まず、「コスト競争力」の面から見てみよう。我が国の製造業がこの10年間で出荷額を大きく落としている背景の一つには、中国をはじめとした東アジア諸国の急速な工業発展がある。近隣に強力なライバルが出現しているということだ。とりわけ、これら諸国は、単純組み立て工程の割合が大きい電気製品や二輪車等において競争力を有しており、例えば、カラーテレビでみれば、日本での生産が世界の約2%であるのに対し、中国、アセアン4カ国はそれぞれ約25%と圧倒的シェアを誇っている。DVDプレーヤー、エアコン、VTR等でも傾向は同じである。
 これは、中国等の圧倒的に安い人件費に由来している面が大きい。ジェトロの調査によれば、都市別の一般工員の人件費水準は、上海は、横浜に比べて1/12、北京は1/20、大連は実に1/25というのが実態である。こうなると、単純な組み立て業で、わが国製造業が太刀打ちするのは容易ではない。しかも、わが国国内での製造業従事者の給与は、他の産業と比較して低い水準にあり、特にその大半を占める生産労働者においては、管理・事務・技術労働者の八割に満たない水準になっている。国内におけるこれ以上の処遇の引き下げは、結局のところ、製造業に不可欠な技術や技能、更には日本人固有の高い労働意欲や職業倫理の荒廃をもたらしかねない。
 とすれば、コスト競争力は、主として設備の生産性向上、生産工程の簡略化、流通過程の効率化等において求めていかねばならないということになる。その際、救いはITの活用である。IT技術はこれら全ての要素に大きく係わる。例えば、自動車や金型の分野で言えば、3次元CADの活用によって、開発・設計リードタイムの大幅な短縮が期待される他、受注・生産・発送の統合管理によって在庫圧縮、納期短縮等、流通コストの削減も可能となる。
 その際、問題となるのは、近年の設備投資の冷え込みという潮流である。バブル期のような身の丈を超えた設備投資は論外だが、80年代まで見られたように、営業収益に見合ったバランスの取れた設備投資が国内で着実に行われるよう、税制や公的融資等によって誘導していくことが必要である。
 税制面では、平成15年度税制改正で、IT投資や研究開発にかなり踏み込んだ手当てがなされているが、さらに範囲を広げて前向き設備投資に対して、思い切った減税措置を講じるのも有効であると考えている。財源をどうするかという問題もあろうが、一定の期間を限定すれば、影響は一時的なものになろう。政策判断には必ずマイナス面が伴う。本件は、税収減というマイナス面があるが、これまで述べてきたようなわが国のおかれた状況、製造業の状況を考えれば、私は、そのメリットはマイナス面を補って余りあると確信している。
 融資の面では、私は、現在のように銀行が不良債権の縮小や自己資本比率の向上に精を出している中で、全てを民間融資に期待するのは困難だと考えている。将来のわが国企業の可能性を高めるような大規模投資については、公的融資がもっと大胆に出動できる体制を整えることが重要ではないか。お隣韓国の電子メーカー・サムスンのように、日本企業に対抗するために、1,000億円規模の新規投資を大胆に実行してきている状況を横目でにらむとき、わが国企業もまた、大規模投資に向かえるような環境を整えることが官民上げての喫緊の課題だと思う。
 次に、「質に関する競争力」についてみてみよう。わが国のものづくりは、これまで「壊れにくい」「長持ちする」等の品質の基礎的要件において優れ、世界の賞賛を浴びてきたが、もはやそれだけではやっていけない。わが国自身がフロントランナーに躍り出て、先を走らなければならないからだ。そのためには、新たな価値を如何に創出し、それを製品の中に如何に取り込むかというところで戦わねばならない。つまり、独創的な頭脳と、それを支える、たゆまぬ研究開発、技術開発が決め手となってきているのである。
 国内製造業は、出荷額の低迷という近年の苦境の中にあっても、研究開発投資については、この10年間ほぼ同額(年間約9〜10兆円)を維持するなど、かなり踏みとどまってきてはいる。しかしこの間の米国の状況を見ると、民間研究開発投資が急拡大している状況が見て取れる。95年の12兆円が、99年には21兆円となっているのである。もちろん、研究開発費の絶対額がそのまま「新たな価値の創出」の内容、規模を決定づけるわけではないが、この投資規模のギャップは今後に不安を感じさせるのに十分である。
 政府もこのような状態に手をこまねいているわけではない。研究開発促進税制の強化により、現在約6,000億円規模の減税措置を講じているほか、研究開発には予算面でもかなりの力を入れている。問題は、果たしてそれで十分なのかということである。財政的によく頑張っていることと、研究開発の現状からして十分かどうかということは別問題である。私は、全く不十分だと考えている。
 国内の研究開発費総額に占める政府支出の割合は、米国の3割に対して日本は2割である。また政府が民間に支出した研究開発費の対GDP比を見ると、日本は米国の1/4である。中小企業に対する技術開発支援をみれば、日本は200億円以下であり、これはなんと、米国の1/24という低水準だ。政府が鳴り物入りで推進しているユニークな研究開発支援「フォーカス21」(市場化までの明確なシナリオがあること等を条件とした研究開発支援プロジェクト)にしても、30分野でわずか430億円という中途半端な規模に止まっている。
 つまり、わが国政府は、研究開発に対して「ケチ」で「冷たい」のだ。復活の90年代となったアメリカの方が、これから挽回をしなければならないわが国よりも将来に向けて大胆に努力をしている点は、深く胸に刻んでおかねばならない事実だと私は思う。設備投資に対する支援と同様、将来に直結する研究開発分野には、期限を切って思い切って取り組むことが求められる。
 また、こうした取り組みの下で生み出された「新たな価値」、技術やデザインに対しては、しっかりとした保全管理を行うことが重要である。日本は海外の、とりわけアジア諸国における模造、盗用に対して比較的寛容だったと言われている。しかし、単純労働ではこれら諸国に太刀打ちできなくなっている状況を踏まえて、わが国の知的財産を有効活用することを真剣に考えなくてはならない。
 1980年代に日本の猛烈な追い上げを受けたアメリカは、有名なヤングレポートに基づいて、知的財産で収益を上げるという政策(プロ・パテント政策)を強力に推進した。立場は逆転しつつある。今や日本も勃興する近隣諸国を横目でにらんで、同じような対応が求められている。この点、小泉内閣が知的財産戦略本部を設置し、省庁横断的にこの知的財産政策の改革に取り組んでいるのは大いに評価できるが、大事なのは、これが中小企業まで含めて日本の産業界全体の意識改革につながってゆくかどうかという点である。なぜなら、知恵でお金を稼ぎ、知恵にお金を払う、という意識が根付いてこそ、フロントランナー国家としてのスタートラインに立てるからである。
 いずれにせよ本件は、国際交渉が決め手となる分野である。多国間枠組み、二国間協議等をうまく活用しながら、国益を前面に出した政府のタフな交渉を求めたい。


・チャンスが広がるものづくり中小企業
 さまざまな試練に曝される製造業だが、大企業と中小企業では試練の具体的内容や、その対応状況には大きな相違がある。
 日銀によると、現在の業況判断について、中小企業は大企業に比べ遙かに「悪い」と感じている。昨年の生産水準(対91年度比)をみれば、大企業の96に対し中小企業は79と、一段と厳しい状況におかれているのがよくわかる。興味深いのは、雇用面である。新規学卒入職者数は、比較的規模の大きい企業(300人以上)がこの10年で約1/3まで減らしているのに対して、中小企業(300人未満)は20%程度の減少にとどまっている。この数字からは、より厳しい経営環境にある中小企業の方が、必死に雇用を下支えしている姿が浮かび上がってくる。
 私は、変化の激しい時代にあっては、小回りの利かない大企業よりも、中小企業の方にチャンスが眠っていると考えている。なぜなら、小回りの利かない大企業にとって急激な変化はピンチにつながることも多いが、スピード感よく変化に順応できる中小企業にとっては、変化こそが既存の秩序を変えるチャンスだからである。
 中小企業にとっての具体的チャンスという点では、例えば、大企業による外部委託の進展が上げられる。三和総研の調査によれば、この10年で大企業を中心に生産の外部委託が大幅に進展しているという。これは中小企業側からすれば、受託生産の機会が拡大することを意味する。
 消費者ニーズの多様化を背景に製造業において多品種少量生産が進展しているが、このこともまた、中小企業にとっての好材料である。最近、「ニッチトップ企業」という言葉があるが、大企業では参入しにくい特殊分野において、国内、国外での圧倒的シェアを勝ち取る中小企業がいくつも出現している。例えば、「半導体搭載基板用めっき液」という特殊材料を生産し、国内、国外で7〜80%のシェアを有する企業、発泡スチロール再資源化装置を製造し、国内シェア80%を有する企業などである。これらの企業はいずれも、ニッチトップを獲得した結果高い利益率を実現している。
 興味深いのは、これらのほとんどのケースにおいて、顧客、すなわち大企業からの個別相談・要望・クレームなどが新たな製品創出のきっかけとなっている点である。つまり、中小企業ならではの小回りの効く機動的組織運営、特殊分野に特化可能な経営規模等をうまく活用して、大成功しているわけである。厳しい生き残り競争の中で、しぶとく、あるいは大胆に新たな展開を図っている企業が多数存在するという事実に、日本の製造業の底力を見る思いである。この種の中小企業は、政府の助けなど最初から考えたこともないという企業が多いと聞いているが、ただ、国や自治体の多少の支援があれば一気に花開いたのにというケースが埋もれていることは容易に想像できる。それこそ断腸の思いである。
 中小企業対策というと救済というイメージが付きまとうが、こういう潜在力ある中小企業の力を潜在力どおりに引き出す政策にも、国や自治体は、これまで以上に目配りをしていかねばならない。もちろん、政府の役割はあくまでも企業の努力を側面から支援するということにとどまるべきであるが、それでも、私は、「潜在力抽出型」の新しい中小企業対策を確立することが大事だと思っている。
 中小製造業に関して私が最も危機意識を持つのは、人材の問題、特に技術や技能の伝承の問題である。中小企業が、優秀な研究者を多数抱えるというのは事実上不可能である。一方で中小企業は、数学、工学等には必ずしも基づかなくとも、長い現場経験の中で先輩から引き継ぎ、自ら鍛え上げた腕・勘といった、いわば高い技能を有する労働者を豊富に抱えている場合も多い。宇宙に飛び立つロケットの枢要な部品が、誤差数100分の1ミリという、職人の手による高い旋盤技術に支えられているという事実もある。
 近年の若者の製造業離れや、生産ラインの自動化・省力化の波が、技能・技術の伝承・発展システムを崩壊させるようなことがあってはならない。計測機器を製造するある会社では、現場には入った新人には、1年間NC機器(数値コントロール機器)を使わせず、熟練技能者の下で汎用旋盤を用いた基礎技術の習得を徹底させるという。私は、このような取り組みは極めて重要で、高く評価したいが、同時にコストの掛かる取り組みでもある。「技能」は個人や会社の財産であると同時に、国家の財産でもあるのだから、何らかの形でこのような取り組み、人材の育成に対する支援制度も検討されるべきではないだろうか。
 最後に触れたいのは、中小企業における連携の重要性である。かつて中小企業は、同業が集まって組合を作る、そういう形で協力し合うのが一般的であったが、今はむしろ、異業種間での連携の重要性が高まっている。少人数で展開される中小企業で多様な技術・技能を網羅することは到底不可能であるから、全く異なった技能が融合して「新たな価値」を創出するためには、異業種の交流が決め手となる。
 現在では多くの地方都市に、大学、工業短大、高等工業専門学校が設立されている。これらの研究機関と、豊かな技能を備えた中小企業が相互に補完・触発しあうことができれば、多種多様な「新たな価値」が創出される可能性は飛躍的に高まる。中小企業相互、あるいは、中小企業と研究機関を相互に結ぶネットワークの構築は地味だが重要な仕事だ。そのような環境を構築するのに、国や自治体ができることがあれば何でも実行すべきだ。内容に対する官の過剰な介入は避けるべきだが、人と知恵のネットワークの構築には、一役も二役も出番があるのではないか。


■第二節 新たな潮流を飛躍台に
 わが国経済をめぐる環境は、当座苦しいものの、希望の持てる新しい潮流も出てきている。次に、今後の日本経済にとって正しい方向感というものが持てるように、われわれが直面する時代の潮流を整理し、私なりの考えを示すこととしたい。
 わが国経済は今、大きく言えば、二つの潮流の中で洗われている。一つは、いわゆる「IT時代の到来」、二つ目は、「新次元の豊かさの追求」である。この二つの潮流を乗り越えたところに日本経済の新しい未来がある。


・IT時代の到来
 90年代後半のアメリカ経済を牽引したのは、IT(情報技術)を中心とする新しい産業の動きであった。
 半導体やコンピューターというハードウエア産業の成長のみならず、コンピューターが通信ネットワークで連結する、いわゆるインターネットの発達により、様々なビジネスチャンスが生み出されることになった。ネット上でビジネスを展開するネットビジネスは、今でこそ株価が低迷してかつてほどの勢いを持っていないが、これが全く新しいタイプの産業の誕生であったことは間違いない。
 また、既存企業もネットワークを活用して経営形態の革新を図っている。企業の国際競争力は、いかにITを活用して効率よい生産システム、調達システム、流通システムを作り上げるかにかかってきている。
 IT革命は、18世紀にイギリスで起こった産業革命に匹敵するという人がいる。IT革命がこれから経済社会の様相を大きく変化させてゆく可能性を秘めていることを強調した表現であろうが、確かに、IT革命は、企業の経営システムだけでなく、経済社会の様々な分野に変化を迫るものとなろう。
 例えば、ネット上で価格の比較販売が徹底して行われれば、価格競争力のない企業はこれまで以上に厳しく選別されるようになり、資本の論理はより徹底されることとなろう。それは、かつて、大規模店舗対小売店の構図で繰り返された問題が、ネット上でより広範囲に展開されるということを意味する。
 また、企業間の取引も様相を変える。これまでの系列取引も、ネット上で調達が行われれるようになれば、よりドライな、価格重視の世界へと変わってゆくことは避けられない。逆に言えば、従来の系列は、より薄く拡散して広がってゆくことになる。
 更に、ITは、経済を越えて、社会にも変革を迫るものとなる。例えば、医療分野も、ITの活用によって大きな変化が起こる可能性がある。現在、医療行為は、医師と患者が対面で行うこととされているが、もし、医療機関同士がネット上で高品質の画像をやりとりできるようになれば、レントゲンなどを見ての診断も、患者と対面していなくてもできるようになる。患者との対話も対面でなくても十二分に出来るようになる。このことは、単に便利というだけにとどまらない。医療行為がオープンになり、いい加減な医療行為が白日の下にさらされるきっかけにもなりうるのである。医者の世界に競争原理を働かせ、閉鎖的な医療の世界を透明で信頼できるものに変革する可能性をもたらすこととなる。こうなれば、ITは単なる技術革新とは言えなくなるであろう。
 また、ITを活用して、教育の分野も改革することができよう。
 イギリスでは、学校間をインターネットで繋ぐ事業に国を挙げて取り組んでいるが、その際のキャッチワードは、「全ての学校に世界一の図書館を」である。記憶しなければならないような事柄は、今や容易にネットワーク化されたコンピューターから入手することができる。今後は、頭の中で暗記することの重要性もさることながら、コンピューターから知識を引き出す技術の習得にも教育の重点が置かれねばならない。教育現場は、「知識を教える場」からより創造的な「知識を引き出し組み立てる場」へと変わってゆくことになろう。
 このようにIT革命は、産業革命に匹敵するかどうかは別にして、少なくとも、「平成の鉄砲伝来」となる可能性は十分にある。
 鉄砲は、戦国時代の末期に伝来し、当時の戦国大名の覇権争いに多大の影響を与えた。群雄割拠状況の終結を早め、城も、それまで山に構えていたものが、平野に構えられるようになった。そして、鉄砲をうまく活用したものが新しい時代の覇者となった。
 ITも、これをうまく活用したものが、新しい産業社会の勝者となる。
 よくこれからどの産業が伸びますかというご質問を受けるが、これからはこう答えることにしたいと思っている。つまり、どの産業が伸びどの産業が衰退するかという捉え方をするよりも、むしろ、ITの激しい進展の時代、ITという武器を活用して経営革新を遂げた企業が発展し、そうでない企業は後退すると。そういう意味では、極論すれば、どんな衰退産業の中にもチャンスはあるということになろう。要は、IT時代への適切な対応をするかしないか、ということである。


・新しい豊かさの追求
 20世紀を通じて我々人間が学んだのは、資本主義は勝利を獲得したが、資本主義の追及だけでは、人間は本当の意味で豊かになれないということではなかったか。
 これからの日本は、成長の果実をいかに国民の豊かさに結び付けてゆくかという点にもっと注目すべきときを迎えている。
 IT産業の発展は、企業の中において、中間管理職の必要性を低めてゆくことが指摘されている。つまり、これまで、トップと末端の中間に位置して、下からの情報を整理分析してトップの判断に役立てるという役割を担ってきた課長などの中間管理職は、様々な経営分析、情報の処理を効率的に行うコンピューターには到底かなわなくなってきている。組織は、フラット化し、ごく少数の経営戦略スタッフと現場の実施部隊がいればいい、ということである。
 90年代を通して、アメリカ経済は、失業率を大幅に低下させることに成功した。90年代の初めに7.55%だった失業率は、10年間で、4.5%にまで低下した。職の数も、この間、大幅に増加した。
 しかしながら、増えた職の大部分は、実は、低賃金労働で、創造的管理職は、むしろ、圧縮しているのである。これは、さきほど述べたIT化による組織の中抜き現象の現われと考えることが出来る。
 そして、復活の10年間と言われる割には、労働者への配分は増えておらず、雇用者がサラリーとして得た平均所得は、この10年間全く上がっていないのである。1時間当たりの実質的な賃金も、96年以降やっと上昇に転じてきているが、25年前の水準にはまだ追いつかない。
 つまり、IT化の進展は、コンビニでバーコードを一日中触っているような単純低賃金労働を激増させ、中間管理的な仕事を駆逐していったのである。人間は、生活費を稼ぐためとはいえ、果たして、このような単純作業的仕事だけで、充実した人生を送れるのであろうか。
 少し前に、高校生、大学生あたりで、自分探しということが言われたが、今や、自分探し、生きがい探しは、社会全体の問題となりつつある。社会の真の豊かさは、お金以外の生きがいをどれだけ豊富に提供できるかにかかっている。 私は、これからの日本の経済社会は、人間のふれあいを大切にした社会を目指すべきだと考えている。これだけ深刻な国家財政を抱えていれば、これ以上財政的に社会福祉サービスを向上させることは、ほとんど不可能である。税金でもって、これ以上介護や医療の質の向上を図るのは限界に来ている。だが、これからもどんどんとお年寄りは増える。私が提案したいのは、多くのNPOがこういった社会福祉分野を支える経済社会である。
 我々日本人は、アメリカを資本主義の権化、究極の弱肉強食の世界のような印象をもって眺めがちだが、実は、数多くの善良なボランティアが、弱者や不幸な人々を底辺で必死で支える社会でもある。アメリカでは、100万のNPOが存在し、そこで1,000万人の人々が働いていると言う。決して高い給料ではないが、しかし、献身的に高齢者の介護やらホームレスの面倒などをみている多くの人々がいる。ウオールストリートでばりばりの高額所得金融マンだった男が、ある日突然辞めて難病患者の面倒を見るNPOでの仕事に転身した。もちろん、薄給である。彼は、そこで、ウオールストリートにはなかった生きがいを感じて仕事をしているのである。このようなケースは、実は、アメリカでは多く見られるのである。
 日本は、アメリカの経済社会に学び、その効率性を目標にしてきたが、こういったアメリカ社会の持つ堅牢な意識構造と社会システムには、十分目が届いてこなかったのではないか。
 今、日本もIT革命の時代を迎え、単純労働の増大が予想される中で、薄給でも人のために貢献できるNPOという仕組みは、生きがいを取り戻す道でもある。国民一人一人が何らかのNPO活動に参画し、一日の仕事が終わった後の幾ばくかの時間を社会貢献のために費やす、「1人1NPO」という社会も、なかなかいいではないか。
 また、定年を迎えた方の中にもまだ働きたいという人はたくさんいる。NPOは、そういう方々に働きがいのある職場を提供することにもなる。週に1回でも2回でも事務所に来て、年間100万円の収入でも働いてくれる高齢者はたくさんいる。こういう方々の貴重な志を生かす仕組みが今の日本には必要なのである。
 こういう受け皿が出来れば、例えば、NPOからの収入があるお年寄りは、多少年金の支給額を低くすることが許されるかもしれないし、国が供給する一律の社会福祉以外の多様なサービスが広がってくれば、国の社会保障支出も効率化できることになろう。つまり、これからの日本の高齢化社会は、「税で支える経済社会」から「汗で支える経済社会」へと転換することが求められているのである。